第5号(前号/次号/目次) 1992年4月〜1992年9月 よいことばかり 思い出されて… |
【巻頭の挨拶】 5号目ともなるとさすがに書くことがなくなってきますが、とりあえず巻頭のご挨拶です。当初の予定では今回が最終号になるはずだったのですが、予想外の盛り上がりのため、今となってはいったい何号までいくのかまるで見当がつきません。そのうちに深夜番組自体が復活して面白番組目白押しとかになったら、さらに号数は延びていくことでしょう(可能性は低いとは思いますが、0とは言い切れないはず。期待もこめて)。 この『深夜電映』は、昼間のテレビ番組と比べてどうしても影の薄い深夜テレビに光を当て、放送開始時期別にどんな番組があったのかをひとつひとつ語っていくというサイトです。今回は1992年4月〜9月に開始された番組についてまとめました。 この時期を一言で表すなら「深夜番組の終わりの始まり」でしょう。先の半年で感じられた翳りは明白になり、「見て面白いもの」と「見る必要がない(と考えられる)もの」とのギャップはあまりにも大きくなりました。少数の際立った傑作が多数の駄作をカバーした結果、高いレベルをかろうじて維持した半年、と個人的には捉えています。 ここでお約束の「このサイトにおける『深夜番組』の定義」を書いておきましょう。 1.番組の放送開始時間が24時以降であること。 2.ニュース番組,スポーツ中継,映画ではないこと。 3.一回きりのものではなく、レギュラー番組として継続していたものであること。 とはいえ、もちろんこの3つの条件を満たすすべての番組について触れることはできませんので、かなり主観の入った取捨選択がなされています。それをご承知いただいたうえで本文をお楽しみくださいませ。 |
【使用上の注意】 本文中では各番組について放送期間,放送曜日・時間,内容,批評という4つの項目をたてています。さらに、わかるものに関しては平均視聴率も記しました。 放送期間,放送曜日・時間,平均視聴率は読んで字のごとくです。「内容」は、番組の内容を客観的に説明した(つもりの)ものであり、批評は主観的な説明まで含んだ批評です。担当のTが見ていないものについては批評がないものもあります。なお、今回も座談会に基づいた内容になっておりますが、その参加者は以下の3人です(本名の画数が少ない順)。 G…知識量が最も豊富。 T…発行の遅れの原因。 V…的確にツッコむ人。
【Internet版について】 |
1.クチュリエで道楽 | ||
1992年4月〜1993年3月 日本テレビ |
火曜日25時40分〜26時10分 | BBS |
永井美奈子と藪本雅子がメインのファッション番組。当初は「近未来のファッションを予測する」ということになっていたが、その後方向転換。トークありロケあり(日テレ周辺程度だけど)のバラエティ番組となった。最終回は鬼怒川温泉まで出かけて総集編。その留守番役で米森麻美が出ているあたり、「DORA」(覚えている人少なそう)の活躍していた時期だったことがうかがえる。 「ファッション番組だけど、出演者が自前だから金がかかっているのは洋服だけ。しかもそれもタイアップだし」(G) 「日テレのアナウンサーがたくさん出てますね。若手はもちろん、小林完吾とか木村優子なんかも出てる」(V) 「横綱の嫁・河野景子も出てたんだ…。他局なのに」(T) |
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第1回を見て、「ああ、ファッション番組かあ…オレにゃあ関係ないや」と思って以後見ておりませんでした。だからあまり語ることもないんですが…この時期、永井美奈子ってかなり使い回されていたんですねえ。 |
2.講演大王 | ||
1992年4月〜1992年9月 日本テレビ |
土曜日26時00分〜26時30分 | BBS |
毎週1人のゲスト(『今週の講演大王』)がやってきて、20分間(砂時計で正確に測られる)の講演を行う、というもの。その20分間はCMが入らない。講演のタイトル・内容は大王本人が決める。 「えらい殺風景なセットなんだよなあ。演壇のうしろは真っ白で、上にその日のタイトルが書いてあるだけ」(T) 「演壇には花が飾ってある程度でしたよね。この番組に出た人というとほかには、デーモン小暮と景山民夫と…」(V) 「小川知子も出てた。『私は最近幸福で幸福で…』とか言って(笑)。あと、桂三枝も出てたね」(T) 「第1回目のゲストはタモリでした。あと、この番組で本も出しましたよね」(G) 「10人くらいの話が載ってるやつね」(T) |
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1人が20分間話すだけなので、ある意味その人本来の「個性」がよく出ていた番組だと思います。でも、本人たちはきっと今となっては「なかったことに…」と思っていたりするんでしょうね。本も絶版だろうしなあ。 ビデオによると、最終回の前は飯星景子で最終回は村田昭治(慶應義塾大学商学部の教授。月曜日のEXテレビで、マーケティング天国のパクリをやっていた人)。きっちり調べれば全出演者がわかるかもしれません。 なお、この番組の名前で検索すると、引っかかるうちの8割は永井美奈子出演の件。やっぱり人気があったんですねえ。 |
3.アイドルIDOL | ||
1992年4月〜1993年3月 日本テレビ |
木曜日25時40分〜26時10分 | BBS |
永井美奈子(自称アイドルアナウンサー)が司会。毎回2組のアイドルが出てきて、簡単なゲームをやったり歌を歌ったり…という感じの純粋なアイドル紹介番組。2組の合間には、アイドルたちが出演のドラマもあった(1クールごとに変わったはず)。 「伊藤洋介(当時シャインズ、現東京プリン)が医者のコスプレ、永井美奈子が看護婦のコスプレをしてアイドルの話を聞くコーナーがあったね」(T) 「誰が出てたか、一覧でも作りましょうか?」(V) |
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この番組に出ていた人で今も芸能界にいる人ってかなり少ないんじゃないかと思います。アイドルの宿命と言ってしまえばそれまでなんですが。…まあ、司会の2人は生き残ってますけどね。 それにしても、どうですかこの永井美奈子の出づっぱりぶり。講演大王に出演した週なんか、深夜だけで週3本ですよ。日テレってほかに手駒なかったんでしょうか。 |
4.爆発!なべしま部屋 | ||
1992年4月〜1992年9月 |
火曜日26時10分〜26時40分 | BBS |
渡辺正行と島崎俊郎がメインのバラエティ番組。中心となるコーナーは「Tバックじゃんけん」。Tバックをはいた2人の女性が背中合わせに立ち、2人を見上げるように、ガラス張りになっている床の下に審判(構成作家・中野俊成)が仰向けに寝転がる。「じゃんけんぽん」の合図にあわせて2人はお尻でグーかチョキかパーの意思表示を行い、審判が判定して勝負をつける。 「前哨戦・中堅戦・大将戦と3回戦やるんですよね」(G) 「チョキを出すのが難しいんですよ。お尻をひねらなきゃいけなくて」(V) 「これ以外のコーナーは覚えていない…」(G) |
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1回目を見て唖然として、以後1度も見ませんでした。ただ、Tバックじゃんけんの知名度はかなり高く、深夜番組マニア以外の人との会話でも話題によくのぼっていたことはよく覚えています。…それにしても、この番組ってほかに何をやっていたんだろう? |
5.爆笑王誕生 | ||
1992年4月〜1992年9月 日本テレビ |
木曜日26時10分〜26時40分 | BBS |
小林克也ときたろうが司会をし、中村ゆうこがアシスタントを務めた勝ち抜き形式のお笑い番組。素人もプロも参加可能。毎週3組が登場してネタを披露し、それに対して点数がつけられる。点数は観客50人の投票(面白いと思った人数)+爆笑王審査委員会(50点満点)−出場者ポイント(出場者自身が、「こいつのネタはつまらなかった」と思った出場者=自分も可=の点を10点マイナスできる)によって100点満点でつけられ、目標点(何週目に挑戦かによって異なる)以上に達すれば合格。5週勝ち抜くと30万円の賞金と「爆笑王」の称号が与えられた。 「ホンジャマカとかビシバシステムとかが出ていましたね」(G) 「あと、王様とろばの耳のネタはこの番組で初めて見たね」(T) 「最終回に登場した象さんのポットも忘れられませんね。『最近調子はどうだい?』ってやつ」(G) 「『…相変わらず漁業の街です』ってね。あれは面白かった」(T) 「あのころ我々の合言葉みたいなもんでしたからね。ところで、この番組のセットに番組名がローマ字で書かれているんですけど、それが『BAKUSHYOH-OH』になってたんですよ。これがおかしいんじゃないかと気になって気になって…」(G) |
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この時期、昼間のテレビを含めても若手のお笑いをテレビで見る機会はほとんどなかったと思うので、意外に貴重な番組だったんじゃないかと思います。あと、本文で書いたように案外メジャーどころも出演していたりして。 ちなみに、この番組終了後の1993年に、テレ朝の日曜正午で「GAHAHA KING爆笑王決定戦」という番組が始まりました(のちに深夜に移動し、94年に終了)。タイトルもコンセプトも似た番組でしたが、もちろん2つの番組に直接の関係はありません(局も違うしね)。両方の番組に出た人っているのかなあ? |
6.TOKYO知恵熱ムスメ | ||
1992年4月〜1992年9月 TBSテレビ |
木曜日24時40分〜25時10分 |
BBS |
松尾貴史とちはるが出演。松尾が講師役で、毎週1つの物事(寿司とか歌舞伎とか色とか。ジャンルなどのしばりはなかった)についてちはるにいろいろと教えていく、という内容。毎週その分野の専門家が1〜2人ゲストとして登場し、詳しいところまで説明する。エンディングでは、松尾が「チエちゃん」という人形を使った腹話術でその週の内容を簡単に振り返る。 | ||
1つのテーマについて深く掘り下げる、というタイプの深夜番組はこの前後の時期に各局でいくつも作られました。テーマさえ決めれば取材はそれほど難しくないから、作りやすいんでしょうね。そして、その切り口に局の個性が出ているように思われます。『カルトQ』のフジ、『レベルのラベル』『流通神様』の日テレ、そしてこの番組と『餅屋の論理』のTBS。順に対話指向、雑学指向、実践指向といったところでしょうか。かなりいい加減なこと言ってますが。 |
7.大帝国劇場 | ||
1992年4月〜1992年9月 TBSテレビ |
火曜日25時10分〜25時40分 | BBS |
かつての「スネークマンショー」でおなじみ桑原茂一氏がスーパーバイザーを務める番組で、その影響が随所に感じられる番組。シュールなコントばかりで30分作りきっている。その中には連続ものもあったし、企画もの(10人の演出家が「モラル」というテーマで作る)もあった。 「大塚製薬の一社提供だからできたんでしょうけど、ドラマ仕立ての『連続テレビ広告』ってのがありましたね。タイトルは『純白の家』。ドラマの途中で急に登場人物がポカリスエットとかの宣伝を言い始めるっていう」(G) 「あと、『出国審査ショー』ね。海外に行きたいという日本人に対して、その理由を尋ねて出国OKか否かを判定する裁判形式のやつ。稲川素子事務所が協力してて、陪審員は全員外国人で裁判長は稲川素子」(T) 「スタッフロールも変わってましたね。全部の役職に「大」がついてた。大演出、とか大衣装、とかグレートプロデューサーとか。最後は『大制作・大著作TBS』。大小道具と巨大道具にも笑った」(G) |
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もし私にTBSの深夜番組で歴代のベスト3を挙げろと言われたら、1番目か2番目にこの番組の名前を出すでしょう。それほどインパクトがあり、奥深い番組でした。現在(2000年7月〜)テレビ東京で放映されている『バミリオン・プレジャー・ナイト』が好きだ、という方にはぜひ見ていただきたかった番組ではあります。あと、この番組発で『RADIO HEAVEN』というCDが作られたんですが、お持ちの方いらっしゃいます? |
8.餅屋の論理 | ||
1992年4月〜1992年9月 TBSテレビ |
月曜日24時40分〜25時10分 | BBS |
谷啓と大河内志保(阪神・新庄の婚約者)が司会の番組。毎回1つの日本製品(ヤクルトとかゴキブリホイホイとか)について、各商品がなぜ、いつ、どのようにして生まれたのかを無声映画風に解説していく。その中で、1つのアイデア商品が生まれるために必要となった発想の転換(=『餅屋の論理』)を視聴者に明らかにする、という内容。トーク番組仕立てになっていて、毎週大河内志保が「今日のゲストは亀の子たわしさんです」などと言うのがなかなか妙でおかしかった。 「本も出ましたよね。あと、エンディングは谷啓の『愛してタムレ』(笑)」(G) |
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TBS型教養深夜番組の1つの頂点といえましょう。調べることがびしっと決まっているためか取材は実に綿密で、どの回もだれることなくまとまっています(それをマンネリと呼ぶ人もいるかもしれませんが)。扱っている品々がいわゆる「定番」であることも考えあわせると、今再放送しても十分視聴に耐えうるんじゃないでしょうか。…でも、大河内志保ってもう引退してるんだよなあ。 |
9.告白の行方 | ||
1992年4月〜1992年9月 TBSテレビ |
火曜日25時45分〜26時15分 | BBS |
番組が用意した留守番電話に視聴者が悩み事とか身の回りの出来事とかを吹き込み、それを適当なBGVに乗せて延々と流す、という番組。合間合間に「雑感人」と称して毎週1人の出演者(月替わり。6ヶ月中3ヶ月は林家こぶ平だった)が登場して留守電の内容について雑感を述べたりするのだが、別に悩み事の解決をするわけでもなく淡々と「うーん大変ですねえ」などと言ったりするだけ。 「毎週1本だけは再現VTRみたいなのを作ったりしてたね」(T) 「実はすごくコワい番組でしたよね」(V) |
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V氏が言っているとおり、実に怖い番組です。わざわざテレビ局の用意した電話にかけてくるような話ですから、前向きな話よりも怨恨系が多くなるのは必定ではあるんですが。思うに、留守電に入れた人の肉声がそのまま流れるため、妙なリアル感があって怖さが倍増するんじゃないでしょうか。 そのほかの点では、放送期間中に留守番電話の番号が変わったことをよく覚えています。それもかなり初期の段階で。イタズラ電話でも多発したんですかね。 |
10.アルファベット2/3 | ||
1992年4月〜1992年6月 フジテレビ |
水曜日24時40分〜25時10分 | BBS |
前回書いた『BANANA CHIPS LOVE』から始まる、「高城剛プロデュース三部作」の3作目。 「確か奥田民生が出てたんですよ」(G) 「また海外ロケとかやったのかな?」(T) 「やったんじゃないですか、高城だから」(V) |
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ごめんなさい、見てません。きっとコアなファンが多いんでしょうね。 G氏があとで調べてくれたところでは、奥田民生は毎回出ていたそうです。それも、毎回恋人役の貴島サリオと2行程度の会話を交わすだけだったとか。うーん、謎が増すなあ。 なお、上には「6月まで」と書きましたが、実際の最終回は7月1日でした。 |
11.BLAST!MAN | ||
1992年4月〜1992年9月 フジテレビ |
火曜日24時40分〜25時10分 | BBS |
スタジオでセットを組み、肉体系のバトルが繰り広げられた番組…らしい。見ていた2人の会話をどうぞ。 「(『風雲!たけし城』+『びっくり日本新記録』+『筋肉番付』)÷3みたいな番組でしたね」(V) 「プラスαとしてテレ東の『ヒップでダダーン』みたいな」(G) 「殴り合ったり、何かを奪い合ったり、というふうに内容はわかりやすいんです。セットはコロシアムのイメージで暗かったけど」(V) |
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なぜかはわかりませんが、まったく見ておりません。1回くらいは見とくんだった…とちょい後悔。 |
12.悪いこと | ||
1992年4月〜1992年9月 フジテレビ |
木曜日24時40分〜25時10分 | BBS |
「犯罪ではないけれども道徳的には『悪いこと』」をテーマにした1話完結のドラマ。殺人とか傷害とかがはっきりと出てこない分、見終わったあとに残る重々しさはかえって大きい。 「たとえば太田光(爆笑問題)・戸川京子・林家こぶ平が出た回。戸川・こぶ平が夫婦で、太田はこぶ平の友人という役回りなんだけど、夫婦の間に予期せず子どもができるわけ。ところがこぶ平は産ませたくなくて、太田に相談すると「事故に見せかけて流産させちゃえ」とけしかけられる。何度も何度もそれに挑戦して失敗したあげくに、ようやくこぶ平は産ませることを決意するんだけど、その日に戸川は不慮の事故で子どもともども死んじゃって、こぶ平も後追い自殺…。でも、実はそもそもの原因は、(以下ネタバレなので自粛)」(T) 「こっわー」(G) |
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見るとかなり暗い気持ちになれる番組。ハッピーエンドなんて1回もなかったような…。それでいてなぜか毎週見てしまったのだから、やはり「他人の不幸は蜜の味」的な心理をうまくついた番組だったのかもしれません。ちなみに、どうでもいいことですが日産の一社提供でした。 |
13.宣誓 | ||
1992年4月〜1992年9月 フジテレビ |
木曜日25時10分〜25時40分 | BBS |
刑事裁判のような形式の番組。被告となるのは毎回1つの現代芸術作品で、検察側(吉見一豊)・弁護側(山崎健二)がそれぞれ有罪(芸術ではない)・無罪(芸術である)という立場から弁論を行うのだが、判決は出さない。結論は陪審員である視聴者に委ねる、という趣旨の番組。視聴者=陪審員という証として、毎週最初に宣誓書に手を乗せて宣誓する場面が登場する。 「第1回目の被告はマルセル・デュシャンの『泉』でしたね。で、最終回は…」(G) 「もう1回『泉』が被告として取り上げられるんだ。で、この回に限ってはっきりとした判決が画面に出る。あれはびっくりしたねえ。絶対にこの番組は判決を出さずに終わるんだ、というイメージが頭にあったから…。テレビの前で固まっちゃったよ」(T) |
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現代芸術ってわけわからないものばかりだなあ、と再認識させてくれた番組。検察側も弁護側も、映像や文献資料を駆使して毎週毎週派手に芸術論議を繰り広げていたのですが、今となっては全然覚えていません。うーん、制作した方々に申し訳ない。番組自体があまりにもアカデミックすぎたのかも。 なお、最終回近くに1時間のスペシャル番組が放映されています。 |
14.たまにはキンゴロー | ||
1992年4月〜1992年9月 フジテレビ |
月曜日25時10分〜25時40分 | BBS |
いわゆる関東高田組と言われる若手のお笑い(松村邦洋、春風亭昇太など)が登場するお笑い番組。高田文夫が司会で、福井謙二アナがなぜか登場していた。 「この番組と言えば林家ペーの『日めくりカレンダー』のコーナーですね。放送がある週に誕生日を迎える芸能人についていろいろ言っていく」(G) 「それと、『○○王』を決めるコーナーってなかったっけ? 確か『冷めた目王』が福井アナだったのは覚えてるけど」(T) 「『裸王』は江頭2:50でしたね。あと、この番組といえばナンシー関による柳家金語楼の版画が思い出されますね。オープニングとかで出てきた」(G) |
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このあと、ほぼ同じメンバーで『夜鳴き弁天』という番組が放映されました。2つの番組の記憶が交錯してしまい、思い出した各コーナーがどちらの番組のものだかわからなくなっていたりもします。ビデオも残っていないし…。 確実にこの番組で行われていたものというと、ところどころで流れる10秒くらいのアイキャッチ。番組名の略称ではあるんですが、幼稚園くらいの女の子に「たまキーン! たまキンたまキン!」と連呼させていました。トラウマになっていなければいいんですが。 この番組もスペシャルの放映がありました。複数回あったんじゃなかったかな。 |
15.皆殺しの數學 | ||
1992年4月〜1992年6月 フジテレビ |
水曜日25時10分〜25時40分 | BBS |
KKベストセラーズからこの番組の本が出ているので、その前口上の文章を引用しよう。「長髪にヒゲの胡散臭い男が、あるときはサイケデリックなヒッピー、あるときはシルクハットに黒マントと毎回珍妙な出で立ちで現れ、数学の難問・奇問を紹介しては解決してみせる」。ほかに付け加えるべきことといったら、秋山の話の聞き手としてchizuru(画面にはまったく登場しない)がいたこと、合間合間に大量のキューピー人形を使った概念的な(ときとしてかなり残酷な)映像が流れたことくらいか。 「実はですね、92年の夏休みに教育テレビで放映された小学生向けのテレビ番組『算数大好き』で、秋山仁はこの番組で取り上げたのとまったく同じ問題を何問も取り上げてるんですよ。しかも、その翌年の93年、中学生向けの番組でも同じことをやっていて、さらにその翌年の94年には高校生向けの番組でもやってるんです」(G)(T爆笑) |
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上記のほか、CMの入りと明けに「数学者の人生」というコーナーがありました。数学上の偉大な発見をした学者たちがいかに生き、そして死んでいったのかを1人につき30秒程度の文章にしたものです(画像はキューピーで作った地球儀が回っている)。昔の人はえらかった、と再認識させられましたが…案の定最後は秋山仁でした。興ざめ。 |
16.アジアバグース! | ||
1992年4月〜2000年9月 フジテレビ |
水曜日25時40分〜26時10分 (のちの変遷については批評を参照) |
BBS |
シンガポール・インドネシア・マレーシア・日本・台湾の5カ国の共同制作(最後のほうは台湾は入っていなかった模様)で、各国で放映されていた番組。韓国でも放映されていたという話もある。それぞれの国でのオーディションを勝ち抜いた4組が毎週シンガポールのスタジオに集合し、歌唱力を競ってチャンピオンを決める。こうして決まったチャンピオンは翌週のチャンピオンと対戦し、3週(のちに5週)勝ち抜くと年に1回行われる「グランドチャンピオン大会」への出場権を得られる。グランドチャンピオン大会で優勝するとプロデビューへの道が開かれた。司会はナジフ・アリと門脇知子の夫婦が務めていたが、いつの間にか晶姫(日本)、デヴィ・サンドラ(インドネシア)、ウィニー・コック(マレーシア)に変わっていた。 | ||
月曜日の深夜にはいつもある番組、と思っていたら終わってしまいましたね。そんな調子だったのでほとんど真面目に見ていませんでした(司会者が変わったことも気づかなかったほど)。ちなみに、タイトルはインドネシア語で「アジア万歳」というような意味だそうです。 この番組、長寿だっただけあって放送時間がころころ変わっています。1992年10月以後の放送時間は以下のとおり(この改編以後はすべて月曜日放送)。 92年10月〜93年3月 25:40〜26:10 93年4月〜94年3月 25:45〜26:15 94年4月〜94年9月 25:15〜25:45 94年10月〜95年3月 25:45〜26:15 95年4月〜95年9月 25:50〜26:20 95年10月〜96年3月 26:30〜27:00 96年4月〜96年9月 26:35〜27:05 96年10月〜97年3月 26:30〜27:00 97年4月〜98年9月 26:40〜27:10 98年10月〜99年9月 26:50〜27:20 99年10月〜00年3月 26:55〜27:25 00年4月〜00年9月 27:25〜27:55 94年を境に、どんどん後ろにずらされていっていますね。うーん、興味深い。 |
17.そっとテロリスト | ||
1992年4月〜1992年9月 フジテレビ |
土曜日25時30分〜27時00分 | BBS |
岸田今日子が主人、金田明夫が執事を務める屋敷。そこには毎週4人の客がやってきて、岸田は金田が収集してきた5〜10分ほどのビデオを数本見せて客たちを歓待する…という設定の番組。4人のゲストはすべて素人で、募集もしていた(第1回目はフジテレビ商店街の商店主たち)。ビデオを鑑賞したあと、岸田+客4人は各自その内容をバラとドクダミで評価する(1人につき、最高はバラ3本で最悪はドクダミ3本)。 「アイドルが歌っているビデオなんだけど、途中でカメラがそのアイドルに寄っていってぶつかり、離れると鼻血を出している…というやつがよくありましたよね」(V) 「あとこの番組だと、ジュース三本、っていうのがありましたね。当時なにかと話題だったジェームス三木をもじって、構成作家の佐々木勝俊が名乗っていたんですけど。で、彼が司会をするビデオで「外国人がやるジェスチャーを当てる」ってのがあったんですね。…その中で、韓国の人がやった題目の答えの字幕にモザイクがかかってたんです。判読してみたら、「私の母は従軍慰安婦です」。こんなブラックなネタもありました」(G) 「低予算時代劇もあったね。織田信長と今川義元を同一人物が演じてるの。登場人物は全部で3人で」(T) 「忘れられないのが架空CMのビデオ。三味線の猫屋、とか、森林伐採の絵を写しまくるゴルフ場のCMとか」(G) 「鈴木誠さんはいいキャラだったね」(T) |
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この番組の話は座談会でもかなり盛り上がりました。これだけで10分くらい語っていたんじゃないでしょうか。 これまでのフジテレビ土曜深夜といったら「微妙なお色気系」というのがお約束だったのですが、それを思いっきりうち破ったのがこの番組。とにかく毎週毎週10本ほどのビデオを作らなければならなかったのだから、構成作家もさぞかし大変だったことでしょう。それでも、できあがったものはどれもそれなりに面白かったのだから立派。個人的には、再放送してほしい深夜番組ベスト5には入れたいところです。ビデオ残し損ねたから。 |
18.逃げなきゃキンブル | ||
1992年4月〜1992年9月 フジテレビ |
水曜日26時10分〜26時40分 | BBS |
羽野晶紀ときんたミーノが主演。2人はなぜか追われており、逃げ回る先々でスタジオをジャックしてはビデオを紹介する番組を放送する…というような内容。毎回、放送時間終了直前に追っ手がやってきてまた逃げる…という風にして次週に続いていた…はず。 |
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番組名に登場する「キンブル」は、映画『逃亡者』の主人公の名前です。番組の設定自体『逃亡者』のパクリみたいなもんですから、まあ正しいタイトルと言えましょう。しかし、なんで2人は逃げていたんだったか覚えていないんですよ。どなたか教えてください。 あと、毎回最初に羽野晶紀が「グッドモーニング、ミスター○○(失念)」とか言ってたはずなんですが…あれも『逃亡者』がらみだったんでしょうか? すいません、尋ねてばかりで。 |
19.秘密の花園 | ||
1992年4月〜1992年9月 フジテレビ |
金曜日26時55分〜27時25分 | BBS |
『1or8』『BQTV』に続くB21スペシャルメインのバラエティ番組。3部作の完結編…? 「これまでの2作と違って、パーティースペースで収録してるんです。まわりに観客もいたりして。あと、Tバックスがレギュラーで出ていました。ところが、最終回近くになってTバックスのメンバーが1人大麻で逮捕されて…モザイクがかかったんです。個人的にはそれがいちばん印象に残った(笑)」(V) |
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前2作で「B21スペシャルとは相性がよくない」と思っていたので見ませんでした。ファンの方には申し訳ないんですが。 |
20.バンピィな男たち | ||
1992年4月〜1992年7月 フジテレビ |
金曜日27時55分〜28時15分 | BBS |
男性によるお色気(?)番組(女性もしくは男色の人向け…なのかなあ)。 「オープニングからして気持ち悪いんですよ。マッチョな男が出てきて。それだけでチャンネル変えました」(V) 「始まる前、番組の内容を聞いただけで『うげっ』と思ったもんなあ」(T) 「僕も、1回目の放送後に内容を聞いて見るのをやめました」(G) |
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書くことないなあ…。我慢して1回くらいはきちっと見るなりビデオに残すなりしておくんだった。とりあえず、空前(でしょう)絶後(であってほしい)の番組ではありました。 |
21.おはようラプラプ島 | ||
1992年7月〜1992年9月 フジテレビ |
水曜日24時40分〜25時10分 | BBS |
「…」 | ||
情報ないなあ…。高城剛でもないみたい。 |
【最後のつぶやき】 難産だったようでいて、それでいて書き始めてからはけっこうすんなりと作れました。巻頭の挨拶にも書きましたが、どうもこの半年の番組群は(私にとっては)○と×とにはっきりとわかれてしまったようです。そのせいか、番組に対する思い入れの違いが批評部分の文章量に(これまで以上に)明確に現れてしまいました。主観的な部分なんだからしょうがないんですが。 さて、実は今回取り上げる範囲内だったにも関わらず取り上げていない番組が2つあります。それについては次に出る別冊(20世紀中にはなんとか…)で触れる予定なので、もうしばらくお待ちください。どちらも、この半年の中でかなり強い輝きを発していた番組です。いや本当、歴代でも5本の指…は無理でも10本の指には入るであろう傑作。さーて何でしょう? そんなわけで、次は別冊が出ます。別冊分に関しては座談会は半ば終了しているので、あとは編集者のやる気次第ってとこですか。まあ、ぼちぼちやりますわ。 |