第4号前号次号目次
1991年10月〜1992年3月

あの輝きは
今いずこ…?
【巻頭の挨拶】
 昼間のテレビ番組に比べるとどうしても影の薄い深夜テレビ。それなりに歴史はあるのに、全体の歴史や各番組の内容などをまとめたものを見たことがありません。所詮は使い捨て番組ばかりだから、と言い切ってもいいかもしれませんが、でもやっぱりもったいない。というわけでとりあえず私の見てきたものだけでも番組の内容をまとめ、個人的な感想を述べたり、批評をくわえてみよう、と思って作ったのがこの『深夜電映』なのです。
 …と書いたのが第1号の「巻頭の挨拶」でした。あれから4年ほど経過しましたが、その間に深夜テレビは確実につまらなくなっています。時間は短くなった上、数少なくなった番組の内容はまさしく「たれ流し」という表現がぴったりなものばかり。そんなわけでこれを書いている私自身が深夜テレビを完全に離れてしまい、この『深夜電映』も3号から先が出ていなかったのでした。
 しかし、もはや深夜テレビに進化を求めることが不可能だとしても、過去の栄光の歴史は消えません。「昔はこんなに面白い番組があったのだ」ということを誰かが伝える必要がありましょう。仮にそれが単なる年寄りの昔話と言われても。――そこに思い至って、ようやく重い腰を上げ、第4号を作ることになりました。
 この号では、1991年10月から翌92年3月までに放映が開始された番組を取り上げています。この時期はいよいよバブル崩壊がテレビ界にも影響を及ぼしだした時期のようで、隆盛を誇っていた深夜テレビにもかげりが見え始めます。いわば、黄金時代の末期といったところでしょうか。玉石混淆という言葉がぴったりな時期ではありましょう。
 さて、今号から2つの大きな変化があります。1つは、ミニコミ形態での発行をやめてweb上のみでの公開としたこと。もう1つは(それに伴う変化ですが)掲示板を用意したこと。各番組ごとに掲示板を用意しましたので、番組についての情報などをお寄せいただければ幸いです。この『深夜電映』における叙述の間違いなどもどんどん指摘してやってください。掲示板でいただいた情報のうち、有用なものは本文にも反映していく予定です。
 いつになく前置きが長くなりました。それではここより本文に入ります。
【使用上の注意】
 本文中では各番組について放送期間,放送曜日・時間,内容,批評という4つの項目をたてています。さらに、わかるものに関しては平均視聴率も記しました。
 放送期間,放送曜日・時間,平均視聴率は読んで字のごとくです。「内容」は、番組の内容を客観的に説明した(つもりの)ものであり、批評は主観的な説明まで含んだ批評です(無記名のものはTが担当しています)。なお、今回も座談会に基づいた内容になっておりますが、その参加者は以下の4人です(年齢順)。
 M…玄妙な人。「深夜番組メーリングリスト」の管理者。
 T…奇妙な人。この『深夜電映』の責任編集者。
 G…絶妙な人。見た番組の幅広さでは4人のうちトップかも。
 V…軽妙な人。このページの持ち主で、BBSの設置者でもある。

【Internet版について】
 各番組ごとに掲示板を設けました。情報、感想などその番組に関連することでしたら、何でも書き込んでください。皆さんからの情報を求めます。また、総合掲示板はこちらです。

1.CAPA
1991年10月〜1991年10月
日本テレビ
土曜日25時10分〜26時05分 BBS
スタジオには福澤朗アナウンサーと日テレの記者数人がいて、取材っぽいビデオを見る…みたいな番組だったような。
「全4回で打ち切られたけど、あえて載せたいね。これは歴史に残すべきだよ」(T)
「内容は、『週刊地球TV』みたい、といえばわかりますかねえ。時事ネタを細かくトッピングする、といった感じ。これが打ち切られたもんだから福澤、やることがなくなっちゃって…」(G)
…とか書いていたけど、第1回から第3回までは小倉淳アナが担当していたようです。福澤アナは最終回だけの登場だったのでした。情報をくださった皆様、ありがとうございました。
第3回目で「警視庁記者クラブの記者を慰労するために水着の女性を派遣する」といった内容の企画を行い、それが問題となって(新聞報道までされた)次の回で打ち切られたといういわくつきの番組。打ち切りの翌週から始まった「ナイト・エクスプレス」なる番組、我々4人は誰も内容を知らないのでご存じの方は掲示板ででも教えてください。

2.吉本印天然素材
1991年10月〜1993年3月
日本テレビ
火曜日25時10分〜25時40分 BBS
「吉本印天然素材」(略称「てんそ」)と名付けられた吉本興業の若手6組(後述)がメインのコント番組。ほかに、ぜんじろうや今は亡きTEAM0なども出ていた。この番組のあと、番組名が変わったりてんそのメンバーが替わったりしつつも同じような内容の番組が何年か続いた。
「当初のメンバーは、ナインティナイン、へびいちご、バッファロー吾郎、雨上がり決死隊、FUJIWARA…とあと1組なんだっけ」(G)
(T注:調べたところチュパチャップス=99年7月解散=だったことが判明)
「てんそはもともと、吉本のNSC(養成学校)9〜10期くらいのコンビ数組でのダンスチームみたいな感じだったんです。それが嫌でナイナイが抜けた、と」(G)
「ビデオを見る限りでは、大阪のロケと東京での公開録画が半々くらいだな」(T)
「今(2000年5月)やってる『吉本ばかな』はこの番組の流れじゃないですか? あれはスタジオトークですけどね」(G)
「この番組、カルトQの真裏だったんだよなあ」(T)
カルトQの裏番組だったから、という理由もあるのですがあまり見ていません。ビデオも最初の数回くらいしか残ってないし。だからろくな批評はできないのですが、コント自体があんまり面白くなかったような…。吉本ファンには怒られそうですが、そんな感じです。でも、ナイナイは当時から明らかに「1ランク上」の存在でしたね。

3.流通神様
1991年10月〜1992年3月
日本テレビ
木曜日25時40分〜26時10分 BBS
毎回ある1つの事象を取り上げ(「フェイク」「レスビアン」など)、それに関する7組の人々の証言をもとに、その事象の「神様」を勝手に決めちゃう、という番組。時代設定は2091年(放送の100年後)となっていて、「現在(2091年)流行している事象について神を求める」という形になっている。神を探す段階で登場する7組は毎回同じというわけではなかったが、怪物ランドはレギュラーだったようだ。
「『フェイクの神様は神様のフェイクだ』っていうのがいちばん印象に残ってる」(G)
「マスオさんが神様だった回があったんだけど…なんだっけ?」(T)
CGメインの構成、なんとも明白なサブカル路線、大森章督のナレーション…と、前号で紹介した「レベルのラベル」の後継であることがはっきりわかる番組。そのために2つの番組で混同が生じ、記憶がはっきりしない部分も多々あります。
「○○の神様はコイツだ!」という結論は実にアバウトで(例:「フェイクの神様は神様のフェイク=大川隆法だ」)、理論にもなっていません。しかし、少なくとも番組による意見を視聴者に呈示していることは確かであり、このあたりが最近の番組にない点といえましょう。タレントがバカ騒ぎしているだけの番組より、(たとえろくでもない結論でも)何かしらの結果を見せられたほうがよっぽどカタルシスを得られるというのは、私だけではないはずです。ところで、n年後の視点から流行の原点を探るという設定は『5年後』にもちょっと似てますね。今気づきました。

4.ミチコ・オグラの見るがいいわ
1991年10月〜1992年3月
日本テレビ
木曜日26時10分〜26時40分 BBS
清水ミチコと小倉久寛がメインのバラエティー番組。前半はゲストを迎えてのトークコーナーで、後半は清水ミチコによる「顔真似塾」。毎週、清水ミチコによる顔真似1〜2作と視聴者からの写真投稿が何作か紹介されていた。
「いちばんすごかったのはなぎら健壱がゲストの回。ピーだらけで放送内容がよくわからなかった」(G)
「昔の放送禁止の曲とか、わざわざボードに歌詞を書いてあるのに隠されてた場所があったもんなあ」(T)
ややもすれば暴走しそうになる清水ミチコを小倉久寛がうまく止めていて、なかなかの名コンビでした。この番組以降見ないのが残念。なお、後半の顔真似塾のコーナーは、当時宝島誌でやっていた清水ミチコの同名の連載との連動企画。あのころは宝島も立ち読みできる雑誌だったのにねえ…とか書いてたら週刊化でまともな路線に戻ってきたんだねえ。

5.カシュクールな人々
1991年10月〜1992年3月
日本テレビ
金曜日26時10分〜26時40分 BBS
「噂」をメインに取り上げた番組。大きくわけて3つのコーナーから構成されている。1つ目は、今まさに世間で流れている噂を1つずつ画面に表示していき、十数個表示したうちの2つについては具体的に検証するコーナー(「コアラのマーチ」のまゆ毛コアラの話を聞きにロッテに行ってたりした)。2つ目は、かつて流れた噂(「口裂け女」「井の頭公園でボートに乗ったカップルは別れる」など)を、白百合女子大助教授(当時)の富田隆氏が心理学的に分析する「噂の構造」。3つ目は、小学校で流れている噂を表示していく「Kid's Rumor」(途中から「OL Rumor」に変更)。
「最初のコーナーの噂と噂の間に挟まる奇態な映像の正体が結局謎のままだった。音声はなくて、探偵が街を歩いて襲われる、みたいなの」(T)
個人的には日本テレビの歴代深夜番組ベスト1に挙げたい番組なんですが…文章では書けない「遊び」が随所に散りばめられていたため、見ていない人にはどうやっても面白さは伝えられないんじゃないかと思いますね。巷間に流れる噂のろくでもなさと、それを真面目に検証したり心理学的に分析したりする部分とのギャップが面白い、ということが重要なんだろうけど、それ以外の「噂に名を借りたスタッフの小ネタ」的部分も番組を盛り上げていたし。画面に出てくる人物は富田隆氏一人(しかも一コーナー内のみ)だというのにこれほど面白い番組が作れるのだからこの番組のスタッフはすごい。芸能人を連れて来ないと番組が作れないと思っている(としか私には見えない)現在の無能な深夜番組制作陣に見習ってほしいものです(多分無理でしょうね)。

6.星期六・我家的電視
1991年10月〜1992年9月
TBSテレビ
土曜日24時40分〜29時00分 BBS
2部にわかれていて、第1部が「えびぞり巨匠天国(エビ天)」、第2部が「ますこっとたわー」。「エビ天」は、視聴者から送られてくる映像作品を評価するもの。映像版「イカ天」といったところか。「ますこっとたわー」は、ルーキーショー(ルー大柴・きたろう・翔の三人。CDも出した)が司会のバラエティー番組。「お笑いゴングショー」などがあった。
「お笑いゴングショーに、ソロ時代のウド鈴木が出てたんですよ。一人であの芸は…きつかったですよ(笑)。でも、それでこの番組内で人気者になったんです」(G)
見てないんです。すいません。ちなみに、この前番組の「平成名物TV」(その第1部が「イカ天」=「いかすバンド天国」だった)についてこの『深夜電映』で触れられていなかったのも、私が見ていないからなんです。最近ようやくG氏によって1号に追加されたので許してください。

7.新し者
1991年10月〜1992年6月
TBSテレビ
月曜日24時40分〜25時10分
(1991年10月〜1992年3月)
月曜日25時10分〜25時40分
(1992年4月〜1992年6月)
BBS
音楽・演劇・お笑いの注目株を毎回1組登場させ、約20分間独演させる番組。藤井尚之(当時チェッカーズ)と富田京子(当時プリンセスプリンセス)が司会だった。身も蓋もないことを言ってしまえば、TBS版『冗談画報』。
「この番組の第1回目のゲスト、電気グルーヴだったんですよ。電グルがメジャーデビューしたばっかりのころで、まだピエール瀧が長髪だった」(G)
「爆笑問題も出てたね。その回のビデオを録ってあったから見たけど、時事ネタばっかりで変に懐かしかった」(T)
「『冗談画報』と違って推薦人とかがいないから、司会の二人もよくわからないままステージを見てた。司会に何の意味があったんだか」(G)
タイトルは「あたらしもの」ではなくて「あたらしもん」と読みます。それにしても、この手の「新人発掘系番組」って最近ないですねえ。お笑いが短時間ネタをやるという番組はたまにあるけど、30分(ないし1時間)を1組に任せる、というのだと93年ごろにフジテレビでやってた「新しい波」が最後かもしれません。この類の番組の使命ってまだ全うされたとは思えないんだけど…。
そういえば、上で「TBS版『冗談画報』」とか書いているわりには肝心の『冗談画報』を取り上げていなかったんで、そのうち1号にこっそり足しておこうっと。

8.どうにも語タク族
1991年10月〜1992年3月
TBSテレビ
木曜日24時40分〜25時10分 BBS
番組前半は、古舘伊知郎が言葉についてしゃべりまくる。後半は連続ドラマ「語卓家の人々」。決められた言葉(たとえば「動物の名前がつく慣用句」とか。前半の古舘のしゃべりに関係することもあればしないこともあった)を多用するホームドラマで、画面の下にその使用回数がカウントされていく。エンディングで再び古舘が登場してまとめる。
「エンディングテーマは憂歌団の『胸が痛い』でしたね」(G)
「古舘は檻の中に入れられてしゃべっている、という設定でしたよね」(V)
古舘伊知郎の「話芸」が存分に発揮された名番組。TBS深夜枠のスマッシュヒットといえるんじゃないでしょうか。こういう「芸を見せる番組」って、最近本当にないですね。
ちなみに、最終回では「刑期終了」と表示され、古舘が檻から解放されてエンディングを迎えたのでありました。

9.病気バラエティーカルテ七転八倒
1991年10月〜1992年3月
TBSテレビ
火曜日25時10分〜25時40分 BBS
医者役の関根勤と看護婦役の女性(誰だったか失念)が司会。毎週1人ゲストを呼び、その人の現在の体の悩みを聞くというもの。ただしそれだけでは終わらず、本物の医師が登場して、司会の2人とゲストの前でその悩み(胃下垂とか)について詳細に説明をしてくれる。そのほか、美人看護婦を紹介するコーナー、視聴者の投稿に基づいて再構成した病気体験ドラマのコーナー、天気予報を模した「お元気予報」というコーナーがあった。
「エンディングがアントニオ古賀の『クスリ・ルンバ』でしたね(笑)」(G)
すいません、1回分しかビデオがないので定かではない部分があります。詳しい情報募集。

10.パンティ・パーティー
1991年10月〜1992年7月
TBSテレビ
水曜日25時40分〜27時00分 BBS
山瀬まみがメインの情報番組。新曲紹介とか映画紹介とかをするだけ。なお、レギュラー番組終了後、11月から12月の間に「パンティ・パーティー快楽版」という番組が3回放送されている(月曜日25時10分〜26時40分)。
「山瀬まみが司会の『ワンダフル』と言ってしまえばそれで終了かも」(G)
「タイトルにだまされて見た人もいるかもしれないけど、全然いやらしくない」(V)
「単にセットにパンティーがいっぱい飾られているだけ。出てくる女の子たちも下着姿というわけじゃないし」(G)
「放送時間が80分と長いのは、途中でゲスト・ミュージシャンのライブが入るからなんです。そのほかは単に情報を流していくだけの番組」(G)
見てません。タイトルだけで「またお色気系の番組かよ」と思ってしまいましたんで。

11.森脇健児の夢屋珍宝堂
1991年10月〜1992年3月
TBSテレビ
火曜日25時45分〜26時15分 BBS
森脇健児がメインの、週代わりバラエティー番組。
「番組自体はつまらなかった。でも、わざわざピンキー(今陽子)を出して『恋の季節』のサビのフレーズで「もーりわきけんじのぉー(もりわきけんじの)ゆーめやちんぽうどー(ゆめちんー)」と歌わせたところはTBSも頑張ったな、と思う」(G)
例によって見てません。とりあえずピンキーのエピソードを書きたかったがためだけに取り上げた番組なもんで…。

12.アジア颱風ショー
1991年10月〜1992年3月
フジテレビ
水曜日24時40分〜25時10分 BBS
この半年後に始まる「アジアバグース!」への流れを作ったともいえる番組。日本のほか東南アジア3カ国でも放映されていた。大木凡人が司会で、日本に関するクイズなどを出して正解者には日本旅行プレゼント、といった企画をやっていた。
「どっちかというとのちの『猛烈アジア太郎』につながる番組かもしれません」(V)
「エンディングで『シンガポールナイトクラブ』という曲が流れるんですが、確かこれのために女性何人かでグループを組んだはず。何というグループかは忘れましたが」(G)
この番組で覚えていることといったら、「TVブックメーカー」で話題になったということくらいですな。「10月から始まる深夜番組のうちどれが一番視聴率を取るか」というベットのとき、秋元康が「アジア颱風ショーは化けるかもしれません。『昨日のアジ颱見た?』とか学校で話題になるかも」とか言ってたはず。…大はずれだけどさ。

13.BANANA CHIPS LOVE
1991年10月〜1991年12月
フジテレビ
木曜日24時40分〜25時10分 BBS
マルチメディアクリエーター(って何?)高城剛プロデュースのドラマシリーズ第1弾。『90日間・トテナム・パブ』『アルファベット2/3』と三部作になっている。松雪泰子主演。
「雰囲気を出すということで、わざわざ全編ニューヨークでロケをしたんです」(G)
「何回か見たけど、いつの間にか終わってた感じ」(M)
「これって、ストーリーを追うというタイプのドラマじゃなかったですからね」(G)
いかにも「俺ってオシャレ?」という雰囲気を漂わせていて、そのノリには到底ついていけなかったので見ませんでした。深夜ドラマの走りなのかもしれません。

14.カルトQ
1991年10月〜1992年9月
フジテレビ
火曜日25時10分〜25時40分
(1991年10月〜1992年3月)
月曜日24時40分〜25時10分
(1992年4月〜1992年9月)
BBS
毎週決まった1つのジャンルについて、めちゃめちゃ深い問題を出しまくるクイズ番組。司会はうじきつよしと中村江里子アナで、解答者は5人。基本的に早押し方式で、正解=10点、不正解=その問題の解答権喪失。最後の数問だけ「超カルトクイズ」となっていて、1問20点だった。のちに日曜22時30分からの枠に出世し、全国ネット番組となる。
「『深夜のブレインパーティー』ってフレーズは最初からでしたっけ?」(G)
「いや、途中からのはず」(T)…と言ったけど、調べたら1回目から言ってました。ごめんなさい。
「予選に3回行って3回とも落ちたのもいい思い出ですね」(G)
「オレも2回行って2回とも落ちた…」(T)
「番組の最後に『カルトQ!』って言って決めのポーズを取るんだけど、中村江里子がいっつも左右逆にやってうじきつよしにつっこまれてましたね」(V)
未だに「○○カルトQ」という企画がほうぼうの番組で組まれてしまうくらい知名度が高い番組(もっともその知名度は全国ネットによるものかもしれないが)。「この番組によってクイズ番組が「出るもの」から「見るもの」に変わってしまい、視聴者参加番組を衰退においやった」と論じる人がいるくらいの強いインパクトがありました。聞いたこともない分野の問題をすぱすぱ答える人を見ていたら、そりゃ確かにそういう気にもなりますわな。個人的には、浜町スタジオで行われていた収録を2回見に行ったのもいい思い出です。

15.アメリカの夜
1991年10月〜1992年3月
フジテレビ
水曜日25時10分〜25時40分 BBS
宝田明がメインとなり、毎週映画の技法(ライティングとかズームとか)を細かく説明していく番組。スペシャルとして、洋画のスタッフロールの読み方を説明する1時間番組(「アメリカの『アメリカの夜』」というタイトルだったはず)が作られたりもしていた。ちなみに『アメリカの夜』というタイトルも、映画のメイキングみたいな映画(わかりづらいか)のタイトルから取られている。
「いきなり映画技法の説明に入ったんじゃなくて、第1回はちょっと違う構成だったような気がするんだけど…定かではない」(M)
「この番組でなにが驚いたって、のちの『3番テーブルの客』(96年?)につながった点だね。あの番組の第1回と第2回はこの番組を踏襲する形になってて、宝田明がドラマの技法を説明していたはず」(T)
「三谷幸喜が脚本遅らすから…」(G)
私は映画はほとんど見ない(年平均1本未満)のであまり映画のことを知っても…と思っていたのに、なぜか全部ビデオに録ってしまいました。宝田明の妙な演技が秘かに気に入っていたのかもしれません。

16.ヤマタノオロチ2
1991年10月〜1992年3月
フジテレビ
土曜日25時30分〜27時00分 BBS
古田新太がメインで、まわりに「レポーター」と称して女の子が何人かいていろいろとレポートする。
「神田うのがレポーターにいました。「うっので〜す」とかは言ってませんでしたけどね。あと、足利うづめという子もいて、「変な名前の子が多い番組だなあ」と思ってましたね」(G)
またしても見てません。ごめんなさい。

17.Butlerの受難
1991年10月〜1992年3月
フジテレビ
水曜日25時40分〜26時35分 BBS
Butlerとは英語で執事のこと。番組冒頭、洋館の一室といった風情の部屋でお嬢様役の田中広子(この人どこ行った?)が「退屈だわ…」と言っていると執事(東錦之介)が登場、「こんなものを入手しました」といってビデオを渡す。で、それを再生すると海外の人気テレビ番組(毎回違う。海外で放送された『なるほど・ザ・ワールド』の逆輸入版というのもあった)が流れる、という構成。その番組が終わるとまた元の部屋が映し出されるのだがそこにはすでにお嬢様はおらず、執事はお嬢様の触ったものにこっそり頬ずりしたりするのだった…みたいな形でエンディング。
「海外CMの回が印象に残ってます。コンドームのCMとかが妙に笑える」(T)
海外の番組を紹介する番組ってのは歴史上結構あるんですが、この番組の特徴は何といっても頭と最後のミニドラマ。これがなんともおかしくて毎回見てしまいました。正直言って、真ん中の海外番組よりもよっぽど面白かったりもしたもんなあ。

18.BQTV
1991年10月〜1992年3月
フジテレビ
土曜日27時00分〜27時30分 BBS
前号で紹介した「1or8」の後番組。B21スペシャルが司会だったが、特に決まったコーナーがあるわけでもなく、単発特集的な番組だった。
「最終回は、新宿シアター・サンモールでの3人のライブでした。エンディングは「ダウンタウン・ウンナンバンド」の『たどり着いたらいつも雨降り』でしたね」(V)
見てませんでした。…しかし、B21枠の復活ってやけに早くないか?

19.ギルガメッシュないと
1991年10月〜1998年3月
テレビ東京
土曜日25時25分〜26時20分 BBS
イジリー岡田と岩本恭生が司会。 「とりあえず、司会のイジリー岡田は元キッドカットでしたね」(G)
「『LIVE笑ME!』(1990年頃の夕方の番組)とかではよく出てたよなあ。懐かしい」(T)
「最初は細川ふみえも司会で出てたんですよね」(V)
「飯島愛との不仲説が女性誌に載ったりもしたよな」(G)
「その飯島愛はフジの裏番組に『飯島恋』として出てたりもしましたよね」(V)
「たぶん、『ギルガメ』と両方出てるのはまずいからってことで名前を変えてうやむやにしたんじゃないかと」(G)
本当の本当に1回も見てません。お色気番組だからこの『深夜電映』で取り上げるつもりは特になかったんだけど、上記のイジリー岡田の話を書きたかったがためだけに書きました(このパターン結構多いな)。それにしても6年半も続いたのか。長寿の深夜番組としては、タモリ倶楽部・DAISUKI!に次ぐ3位なんじゃなかろうか。…と思ったらアジアバグース!(8年半)があったのね。

20.平成女学園
1991年10月〜1998年5月
テレビ東京
月〜金曜日24時30分〜24時40分
土曜日25時15分〜25時25分
日曜日24時05分〜24時15分
(※番組開始時の時間帯。途中で数回移動)
BBS
ひとことで言えば「軽めのお色気番組」。番組開始時、その内容は番組名のとおりの授業形式で、日替わりの講師がボディコン姿の女性たちにいろいろなことを講義する番組だった。1995年頃からは大きく路線変更し、毎日一人のグラビアアイドルの映像を流しまくるプロモーションビデオ的な番組になった。(G)
同局の「ギルガメッシュないと」が完全なエロ番組だったのに対し(その過激さは国会で槍玉にあげられるほどだった)、こちらの番組は比較的ソフト路線。せいぜい、「体育の講義」と称してボディコン姿の女性に体操をさせる程度。この番組が途中からセクシーアイドル路線に変更したのは、アイドル界が全般的に低年齢化していったこととも関係していると思われる。番組の終期には出演者を公募していたが、残念ながら新しいアイドルは発掘できなかったようだ。
なお、この番組の特筆すべき点として「祝日だろうが改編期だろうが年末年始だろうが必ず毎日放送されていた」ことが挙げられる。ニュース番組でさえ選挙のときには特番になってしまうこの業界で、一日も休まず放送された番組は他にないのではなかろうか。 ちなみにこの番組、テレビ東京ではビックカメラの一社提供。唯一のネット局だったTVQ(福岡)では武富士の一社提供。この2社、よほど広告費に余裕があったのか、それともよほど出稿費用が安く済んだのか?(G)
また、この番組からは、長谷川恵美ら3人の女性からなる「平成おんな組」という女性アイドル(?)グループが1993年にデビューした。残念ながら、番組のテーマ曲である「ビバ!結婚!」(作詞:秋元康、C/W:パトロン募集中!)以外のCDは見たことがない。なお、平成おんな組は1993年にABC(朝日放送)歌謡ゴールデン大賞のシルバー賞を受賞している。(V)

21.ハウスエナジー
1991年10月〜1992年3月
フジテレビ
月曜日24時40分〜25時10分 BBS
「大沢樹生が司会でしたね」(V)
「そうそう。元・光のね」(G)
「スタジオで素人がダンスを披露する番組。ちょうどストリートダンスが注目されてた頃で…。3on3も流行ってた」(V)
前号で取り上げた「ダンス・ダンス・ダンス」の続きにあたる番組。私のこの番組に関する知識はこれで終了…。

22.欧州旅籠通信簿
1991年10月〜1992年3月
フジテレビ
木曜日25時10分〜25時40分 BBS
海外の一流ホテルを毎週2つか3つ紹介し、それぞれについて場所や設備についての説明をしたあと5点満点で採点する。出演者はなく、ナレーションのみ。
「なんでこんな番組を何度も見て、しかも内容を覚えてるんだろう」(V)
「つまんないのに…」(G)
「こんな高級ホテルなんて絶対行かないのにな、俺達」(T)
本当に、どうしてこんなものを見てたんでしょう。しかも3人も。うーん。

23.シンデレラEXP.
1991年10月〜1992年3月
テレビ朝日
火曜日24時30分〜24時55分 BBS
「この前の半年にやっていた『KURA KURA』に続く、ribbonの番組です。ribbonのほかにヒロミ(B21スペシャル)と女の子1人…誰だっけ(後に「長田江身子(おさだえみこ)」という当時はわりと売れっ子のモデル系長身アイドルと判明)…が出てました」(G)
「お笑い番組みたいになってましたね」(V)
「ヒロミが入ったからか、コント中心になったんです」(G)
これまた見ておりません。上記2人の会話でわかるかな?

【最後のつぶやき】
 またしても半年だけで1回分作れました。振り返ってみても、なんとバラエティーに富んでいて優れた番組の多いことか(とか言いながら見てない番組も多かったが)。書いているうちに何度もため息をついちゃいました。ああ、このうち3つくらいでいいから、今やってくれないかなー、なんて。再放送でもいいから。
 それはそうと、この時期を語るにあたってどうしても外せない番組があります。1991年10月、3日間にわたってフジテレビで放映された『深夜は踊る』。第1夜は1987年まで、第2夜は1988〜1989年、第3夜は1990〜1991年のフジテレビの深夜番組についてまとめた番組でした。このような番組が成り立ったということ自体、フジの深夜番組がこの時期すでに成熟しきっていたという事実を示しているのでしょう。それはまた、深夜番組がもはや「懐かしがるもの」へと変化しかかっていたということをも示唆しているのかもしれません。この後の深夜番組の衰退ぶりを知ってしまった今から考えると、まさしくこの時期にこの番組が放映されたということに意外と重要な意味があるようにも思えてくるのです。
 さて、次号も半年分で作るつもりです。1992年4月〜9月分ですね。もっとも、その前に増刊号が出るかも。内容は内緒です。あと、じわじわとこれまでの分に修正・補足を加えていきますので期待せずにお待ちください。そいでは。