第3号前号次号目次
1991年4月〜1991年9月

テレビ欄って、
意外に狭い。
【巻頭の挨拶】
 昼間のテレビ番組に比べるとどうしても影の薄い深夜テレビ。それなりに歴史はあるのに、全体の歴史や各番組の内容などをまとめたものを見たことがありません。所詮は使い捨て番組ばかりだから、と言い切ってもいいかもしれませんが、でもやっぱりもったいない。というわけでとりあえず私の見てきたものだけでも番組の内容をまとめ、個人的な感想を述べたり、批評をくわえてみよう、と思って作ったのがこの『深夜電映』なのです。
 ここでいう深夜番組は次の3つの条件を満たすものです。
  1.番組の放送開始時間が24時以降であること。
  2.ニュース番組,スポーツ中継,映画ではないこと。
  3.一回きりのものではなく、レギュラー番組として継続していたものであること。
 もちろんすべての番組については語れないので取捨選択はなされています。
 今回は1991年開始の番組を取り上げる…予定でしたが、前回助っ人三人を迎えて行った座談会が異様に盛り上がってしまったために結局1991年4月,7月開始の番組をとりあげるだけで8ページうまってしまいました。この調子で行くと一体何号で完結できるのか、不安にもなってきます。最初は5号で終わる予定だったのになあ。
 それでは、能書きはこのくらいにして本文に入りたいと思います。
【使用上の注意】
 本文中では各番組について放送期間,放送曜日・時間,内容という3つの項目をたて、筆者(T)が見たものについては批評という項目もつけておきました。
 放送期間,放送曜日・時間については読んで字のごとくです。「内容」は、番組の内容を、その番組を見ていた人が説明したものですが、座談会というざっくばらんな場所で語られたものなのでややもすると主観が混じってきたりしてしまっています。「批評」は筆者(T)が、きわめて主観的になした批評です。好きな番組の批評は熱が入っています。
 ちなみに、今回の座談会の参加者は下の4人です(年齢順)…っていうか、前回すでに1992年の分まで話をしていたんですけどね。
 Y…1988年〜92年まで首都圏に在住
 T…生まれたときから首都圏在住
 U…1990年から首都圏在住
 M…1991年から首都圏在住

【Internet版について】
 各番組ごとに掲示板を設けました。情報、感想などその番組に関連することでしたら、何でも書き込んでください。皆さんからの情報を求めます。また、総合掲示板はこちらです。

1.DAISUKI!
1991年4月〜2000年3月
日本テレビ
土曜日24:00〜25:00
(現在は土曜日24:25〜25:25)
BBS
誰もがごぞんじであろう超長寿番組。松本明子,飯島直子,中山秀征の3人が毎週散歩したり麻雀したり宝くじを買ったりといろいろなことをするだけの番組…と言い切ってしまっていいのだろうか。
「最初は吉村明宏も出てたんです。ほかにも誰かいたかも。そこらへんがちょっとわからないんですけど、いつのまにか今の3人で固まってしまってました。まあ、やってた内容は今と一緒でしたけど」(U)

2.レベルのラベル
1991年4月〜9月
日本テレビ
木曜日25:40〜26:10 BBS
毎週1つのテーマを決め、そのテーマについての情報を細かく紹介していく番組。最初は基本的なことを「レベル1」として紹介し、すこしずつ細かい話になっていきレベルもあがっていく。その際に使われていた、CGで描かれている塔を一階ずつあがっていくイメージ映像が特徴的。英語で「階」をlevelというのだからなんのひねりもないのだけれど。
出演者はなく、説明に必要となったときだけ専門家が登場する。最終的には、とてもテーマとつながらないであろうと思われるものを「レベル100」として紹介し、塔を登りつめたCGが流れてエンディングとなる、という構成。
「『スチュワーデス』のときのレベル100が豚だったのはよく覚えているんだ。英語だとそのまんま、ってやつ」(T)
「『吉本』の回のレベル100は吉田ヒロでしたね。「吉本の最終兵器」とかいうふれこみで、2分くらい一人でネタをやってました。それにしても、今考えるとこれと『流通神様』(次号でとりあげる予定。この番組の後番組)とがごっちゃになってるんですよね」(U)
「六本木」「パチンコ」などなど、取り上げられるテーマには特に一貫性があるわけではなかったのだけれど、個人的にはそれが逆によかった感じです。考えてみると、この番組も含めて、この時期は同じような「1つのテーマをいろいろな角度から掘り下げてみる」という深夜番組が多かったようです。その方法がそれぞれに違っていたからそれなりに新鮮に見えたものですが、今振り返ってみると、この時期すでに深夜番組もネタ切れを迎えていたのかな、とも思えてきたりもします。

3.萬金譚ドラドラ
1991年4月〜9月
日本テレビ
金曜日26:05〜26:35 BBS
北野誠,岸谷吾郎,中村栄美子の3人が、毎回1つの懐かしいアニメについて語りあう、というもの。主として北野誠が「そのアニメがなぜ受けたのか」ということを、3つのポイントにまとめて説明する。中村はたいていそのアニメのことを知らないので、北野誠が解説&ボケ、岸谷吾郎がツッコミという形になっていた。途中には花島優子(『美少女仮面ポワトリン』)やホンジャマカの登場するミニコント(テーマとなっているアニメの設定を使ったシチュエーションコント)があり、その部分だけ公開録画だった。
北野誠のいい加減な解説や、ばかばかしい(←ほめ言葉ね)ミニコントが面白かったので毎週見ていました。再放送がなかなかないアニメの映像が(1週につき2,3分とはいえ)見られる番組だったので、マニアの人はけっこう見ていたんじゃないでしょうか。それにしても、花島優子が今何をやっているのかということが気になります。…しかし、中村栄美子(当時16才)がなにものだったのかというのはもっと謎。

4.ルージュの伝言
1991年4月〜9月
TBS
水曜日24:40〜25:10 BBS
毎週松任谷由実の曲の歌詞に合わせたドラマを1本ずつ放送する、といういかにもな「トレンディドラマ(恥語)」。曲数が多いユーミンだからできた企画といえなくもない。のちに午後5時から再放送までされた。
出てきていた俳優陣はみな無名だったりアイドル歌手だったりしたので、いまから考えると意外に大物が出ていたかもしれません(ないか?)。もっとも、TBS版『東京ストーリーズ』と言ってしまえばそれまでかな。

5.快体新書
1991年4月〜1992年3月
TBS
月曜日26:10〜26:40
(1991年4〜9月)
月曜日26:40〜27:10
(1991年10月〜1992年3月)
BBS
「この番組は1年やってたんですけど、半年たったところでイメージをかえたんですね。最初の半年は誰が出ていたか忘れてしまいましたが、後半は芹沢名人と生稲晃子が出ていました。ただ、出演者は変わったのにやってる内容は同じようなものでして、毎回どこかのフィットネスクラブの先生が出てきて、毎週身体の部分を鍛えるストレッチ体操をする、というものでした」(U)
「やってましたよね、今週は上腕二頭筋、とか」(M)
「あとは芹沢名人がちょっとエッチな話を振ろうとして生稲晃子がうまくはぐらかす、というお約束な会話があった」(U)

6.1 or 8
1991年4月〜9月
フジテレビ
水曜日24:40〜25:10 BBS
B21スペシャルがメインのバラエティー。身体を張ったネタが多かった。「ゴムボートで多摩川を下る」「(唯一のネット局があった)富山まで自転車で行く」など。それがエスカレートしたあげく、「背中に花火をたくさん(6000発だっけ?)くくりつけて下に向けて火をつけたらロケットのように空を飛ぶことができるか?」というチャレンジによってヒロミが大火傷を負って新聞沙汰になったのは有名な話。
「これって事件のあとすぐ打ち切りになったんだっけ?」(T)
「いえ、9月までちゃんと半年やったんです。ただ、事件(8月)後は全部の回が『総集編』でしたが」(U)
個人的には「身体酷使系」のお笑いは好きではないのであまり見ませんでした。それはともかく、この番組って出演者をかえて内容をソフトにしたら『鉄腕!DASH』になるような気がするんだけど…どうですかね?
Internet版制作者から……番組名は「いちかばちか」という意味です。

7.TVブックメーカー
1991年4月〜1992年3月
フジテレビ
月曜日24:40〜25:10 BBS
毎週、その週にあるイベントについてその結果を予想して賭けにしよう、という番組。「サミットの写真撮影で首相は左から何番目に立つか」「マックチャオ(当時新発売)は一日で何個売れるか」など、その賭けの内容は多岐にわたった。使われていたコインの単位が「カノッサ」だったことからもわかるとおり、ホイチョイプロダクションの制作による。倍率を決める「オッズメーカー」を前田武彦が務めていたが、途中とんでもない大穴(内容失念)が出たせいで破産してしまうという珍事もあった。「第1回目でやったのが『この番組の視聴率』。結局2.4%で、みんなが思っていたよりよかったんです」(U)
「10月の改編も乗り切って、『新しく始まった深夜番組で一番視聴率をとるのはどれか』というのをやった。2番人気だった『カルトQ』が1位だったんだよね」(Y)
「オッズメーカーが破産したとき、そのときの出演者(ベッター)たちが新しいオッズメーカーに立候補したんです。毎回必ず3カノッサずつしか賭けなかった泉麻人の『私がオッズメーカーになった暁には、ベットの量を制限します』という明言はよく覚えています。結局また前田武彦がオッズメーカーになりましたが」(U)
近い将来の予想=「未来」を扱ったこの番組は、「現在」を扱った『マーケティング天国』,「過去」を扱った『カノッサの屈辱』とあわせて「ホイチョイ3部作」の完結作といわれることもあります。『カノッサ』の後番組であること,時間が浅いことから世間の注目は高かったようで、この番組で取り上げられたがゆえに予想外の結果となる賭けも少なくなかった(と私個人は認識してます)。深夜番組も確実に社会に影響を及ぼす、ということが確認できた点がこの番組の最大の功績かもしれませんね。
Internet版制作者から……大穴って、「NHKのスポーツニュースF1鈴鹿GPで、フジテレビマークが何個映るか」で、8個くらいしかなかったんじゃなかったかなあ。違うかも。

8.欽ちゃん走るッ!
11991年4月〜9月
フジテレビ
木曜日25:10〜25:40 BBS
欽ちゃんのコントで30分、と言い切っていいだろう。それだけだったのは個人的には潔いと思う。
「ダウンタウン出たよね。素人が欽ちゃん走りをする、というコーナーで。『ガキの使い』の企画だったっけ?」(T)
「『浜ちゃん走るッ!』ですね。ありました。あと、この番組、スタッフロールがないんですよ。スタッフ全員の集合写真が一瞬映って、この人たちが作ってます、ということで終わり。それが欽ちゃんなりのギャグ(笑)」(U)

9.地理B
1991年4月〜9月
フジテレビ
火曜日25:10〜25:40 BBS
毎週ある国を取り上げ、その国についてのさまざまなデータを紹介する。
「最終回は日本でした。この番組が放送されていた頃は地理Bって科目はなかったんですよね。今は地理Aと地理Bにわかれて復活してますけど。――この番組って、教養路線が少なくなってきた頃にかろうじて頑張っていた一分の隙もない真面目番組だったんですけど、一回だけ「ピー」が入ったんですよ。インドネシア語で茶碗のことをマン「ピー」という、って(笑)。画面にはちゃんとふりがなが出ていましたが(笑)」(U)

10.北野ファンクラブ
1991年4月〜1995年?
フジテレビ
金曜日25:25〜26:25 BBS
「オープニングは美空ひばりでしたね。番組は高田文夫との2人トークがメイン。会議室みたいなセットで、テーブルの上にはスポーツ新聞が置かれていて芸能ネタを語り合う。で、後ろの黒板にはダンカンとかが描いた絵があって、告知とかも書かれていましたね。あとはたけし軍団のコントもありましたが、唯一のレギュラーコーナーといえるのが『亀有ブラザーズ』のコーラスでしょうね。『ひっぱれー、ひっぱれー、たーまきーんひっぱれー』の」(U)
「あれだけを編集して1時間テープを作りました。あれってときどき名前変わりましたよね。女装して『北千住シスターズ』とか。やってる内容は同じでしたが(笑)」(M)

11.ヤマタノオロチ
1991年4月〜9月
フジテレビ
土曜日25:30〜27:30 BBS
「フジテレビのアナウンサーとか記者ばっかりが出てきて、くだらないB級ニュースを何十本も集めてきて流す、といった番組。変な方向のジャーナリズム番組でした。メイン司会は大坪千夏でした」(U)
「あと、チケット予約の案内もしてましたね」(M)

12.哲学の傲慢
1991年4月〜9月
フジテレビ
火曜日26:35〜27:05 BBS
「なんだか難しそうだったから見てないんだよね。とりあえず、オープニングで石板みたいなのがぐるぐる回転するCGがあったのは覚えてるんだけど…」(T)
「きたろうと小坂修平が、二人でどっかの公園をぶらぶら歩いて哲学の話をするという内容でしたね。ぐるぐる回って、ぶらぶら歩いて…(笑) それこそ哲学堂公園とかも行ってたんじゃないですか」(U)

13.五コマくん
1991年4月〜9月
フジテレビ
隔週月曜日27:10〜27:40 BBS
朝倉世界一と天久聖一の4コママンガが1コマずつ映しだされたあと、もしこれに5コマ目があったらどうなるかを劇団員たちが演じる、というもの。でも、ほとんど4コママンガとして完結していなかったので、4コママンガを引き伸ばしてオチを動画にしただけ、といえなくもない。
「出てくる劇団がみんなマイナーだったよねぇ。オレは『笑いの仮払い』よりはこっちの方が好きだったな」(Y)
「私は『笑いの…』の方が好きでしたね。この番組で思い出すのはなんといっても『50kgのメガネ』でしょう。手で持ち上げられないから、人間の方がメガネに合わせてしゃがんだあと、重量あげみたいに立ち上が ろうとして後ろに倒れていっちゃう、という…」(U)

14.笑いの仮払い
1991年4月〜9月
フジテレビ
隔週月曜日27:10〜27:40 BBS
130R,田口トモロヲ&片桐はいり,シャインズ,ブランドル&タッチボック(今何やってるんだこいつら?)がそれぞれ独立したショートコントを演じる。各自の設定は不変で、順にタクシー,病院,バー,居酒屋を舞台としていた。
「オープニングテーマは森丘祥子の『夢で逢えたら』。こっちも出てくる人がみんなマイナーでしたね。当時いちばんメジャーだったのはたぶんシャインズで、あとはせいぜい片桐はいりと田口トモロヲくらいしか知られていなかったと思う。130Rなんてこの番組で初めて見ましたし。最初はコワい人だなあと思った」(U)
「『五コマくん』にしてもこれにしても、かなり狭いターゲットの番組だったということやね」(Y)

15.夜中の学校
1991年7月〜1992年9月
テレビ東京
金曜日24:40〜25:10 BBS
「これはテレ東にしては貴重な番組ですよ。月代わりで有名人が講師になって講演をする、という…。糸井重里も、デーモン小暮も、あと秋元康もやっていたなあ。杉浦日向子の『江戸文化論』なんてのもありましたね。番組が終わってから本にまとまっています」(U)
「本はたくさん出てます。まだ本屋さんの店頭に並んでますよ」(M)

16.水着でキスミー
1991年8月〜1993年12月
テレビ東京
土曜日24:45〜25:15 BBS
「『ギルガメッシュないと』の1本前の番組なんです。これを見て『ギルガメ』に流れる、という感じ。10〜15分くらいのミニドラマが2本あって、その始まる前,2本の間,終わったあとで週1人の水着アイドルが出てくる」(M)
「B級アイドルとB級タレントがB級ディレクターによるB級ドラマを演じる、ということでおわかりいただけるかと」(U)
「テレ東のディレクターの登竜門、といえなくもないのでは?」(M)
「それにしても、後番組が『NBA'94』というのはなかなか節操がなくていいねえ」(T)

【最後のつぶやき】
 半年分だけで1号まるまる作れるというのは意外でした。それだけこの時期の深夜番組が充実していたということなのでしょうね。それにくらべて今の番組の薄っぺらさといったら…。
 次号は1991年10月開始の番組がメインになります。今のところ、以下の番組をとりあげる予定でいます。
 『CAPA』『流通神様』『見るがいいわ』『カシュクールな人々』(日テレ)
 『新し者』『どうにも語タク族』『カルテ七転八倒』(TBS)
 『カルトQ』『アメリカの夜』『Butlerの受難』(フジ)
など。