第1号次号目次
1987年10月〜1990年3月

いらないところが
多すぎる!
【巻頭の挨拶】
 昼間のテレビ番組に比べるとどうしても影の薄い深夜テレビ。それなりに歴史はあるのに、全体の歴史や各番組の内容などをまとめたものを見たことがありません。所詮は使い捨て番組ばかりだから、と言い切ってもいいかもしれませんが、でもやっぱりもったいない。というわけでとりあえず私の見てきたものだけでも番組の内容をまとめ、個人的な感想を述べたり、批評をくわえてみよう、と思って作ったのがこの『深夜電映』なのです。
 ただし、完全に一人で作っているものなのでどうしても内容は一人よがりなものになってしまっているとは思います。たとえば私がずっと関東地方に住んでいるものですから関東で放映されたものしか取り上げられないとか、映画やスポーツは深夜にやる必要はないと思っているから一切取り上げられないとか、どちらかというと知的なバラエティー系が多くなってしまっているとか…。最大の問題はそれ以前の、「みんなが深夜テレビを知っているという前提のもとにこんなものを作ってしまう点」にあるんですけど、その点は突っ込まれても困るので勘弁してやってください。
 それともう1つ。この『深夜電映』は5号で終わります。5号まで続くのか、問題もありますが、それは別として本紙は6号以降を想定していません。というのもこれまでに放映されたものを振り返る、ということを主眼においているためです。今号は1989年以前に放映が開始されたものをとりあげましたが、2号では90〜91年に放映開始となったものをとりあげ、以下3号で92〜93年、4号で94〜95年、5号で96年以降に始まった番組をとりあげることにしています(その後予定が変更され、もっと出そうです)。
 そんなわけで、一人よがりでしかも過去を振り返ってばかりいるという極めて後ろ向きな代物ですが、よろしくおつきあいくださいませ。それでは、始まり始まり〜。
【使用上の注意】
 本文中では各番組について放送期間,放送曜日・時間,内容,批評という4つの項目をたてています。さらに、わかるものに関しては平均視聴率も記しました。
 放送期間,放送曜日・時間,平均視聴率は読んで字のごとくです。「内容」は、番組の内容を客観的に説明した(つもりの)ものであり、批評は主観的な説明まで含んだ批評です。あまりおかたい文章を書いてもしかたがないのでかなり口語的な文章になっています。ここを書きたくてこれを作ったようなものですから、ここの文章の熱の入り方で筆者の好みがわかってしまいます。
 そんなわけで、前置きが長くなりましたがいよいよ本編です。

【Internet版について】
 各番組ごとに掲示板を設けました。情報、感想などその番組に関連することでしたら、何でも書き込んでください。皆さんからの情報を求めます。また、総合掲示板はこちらです。

1.読切美人
1987年10月〜1988年3月
フジテレビ
水曜日28時30分〜28時55分 BBS
部屋のようなセットの中、女性タレントが一人椅子に座って本を朗読する。それだけ。前半15分はいわゆる文学書やベストセラーを読み、後半10分はピンク小説を読む。前半と後半で読む人が違った。
今から思うとなぜ私はこんな番組を何回も見てしまったのだろうという気になります。なにしろ内容があまりになさすぎる。番組の後半部はあからさまにオヤジ趣味だし。ただ、前半の部分がのちの深夜アカデミック路線の初期形態だった、と無理矢理こじつけておきます。

2.やっぱり猫が好き
1988年10月〜1990年3月
フジテレビ
火曜日24時30分〜25時00分
(1988年10月〜1989年3月)
火曜日24時40分〜25時10分
(1989年4月〜1990年3月)
平均視聴率:3.2%
BBS
浦安(のちに幕張に引っ越す)のマンションを舞台に、そこに住む恩田かや乃(もたいまさこ;長女),れい子(室井滋;次女、ただし別居しているという設定),きみえ(小林聡美;三女)のまわりに起こる騒動を描く毎週一話完結のドラマ。1990年10月からはゴールデンタイム(土曜日19:30〜20:00)で放映された。
基本的にはドタバタドラマと言ってしまえるのだが、どこまでが台本でどこからがアドリブかわからないような3人の会話が実に軽妙でした。さすがは三谷幸喜(半分くらいの話の脚本を手がけていた――んでもって、この番組が縁で小林聡美と結婚)。設定はホームドラマの究極とも言える(なにしろこの3人以外はまったく画面に登場しない)のに、実際には怪獣が東京に来襲する話はあるわしゃべるハマグリの話はあるわでいい意味でめちゃくちゃ。それでいて毎回毎回くすっと笑ってしまうようなオチがきっちりついていて、「また来週見よう」という気にさせます。
また、主婦や女子高生あたりに人気が高かったことも深夜番組としては異色。88年末にはすでに新聞紙上で取り上げられて、89年1月にはすでに1時間のスペシャルが作られてしまうほどでした。スペシャルはその後も続けられ、ニューヨーク編というものまでありました(しかもニューヨークまで行きながらやっぱり話は部屋の中でだけ展開する)。そして最終的にはゴールデンタイムにまで進出したわけですが、これはちょっとやりすぎでしたね。1年続いたということはそこそこ視聴率も取れていたということなんでしょうけど、この番組の醸し出す「ほんわか感」は深夜ならではのものだったんじゃないかなあ。ところで、第1回ではかや乃が他の二人の叔母という設定だったということはどれほどの人が知っているのでしょう(かくいう本人も人づてに聞いたんだけど)。

3.マーケティング天国
1988年10月〜1990年3月
フジテレビ
月曜日24時30分〜25時00分
(1988年10月〜1989年3月)
月曜日24時40分〜25時10分
(1989年4月〜1990年3月)
平均視聴率:2.5%
BBS
前半は城ヶ崎祐子アナが本,CD,レンタルビデオ,映画の動員数など様々なチャートを読み上げ、それぞれについてやや斜に構えたコメントをつける。後半は広告代理店の社員が講師となり、城ヶ崎アナや視聴者に新発売の製品あるいはその製品の分野についてのマーケティング戦略を解説する。
月曜日の放映にも関わらず週末のデータがばっちり取れている、というのはすばらしい即時性で、この点は特に評価していいでしょう。そしてただデータを羅列するだけではなく話題の商品のマーケティング戦略について教えてくれる、けっこういたれりつくせりな番組だったと言えるかもしれません。
それはそうと、この番組の最終回の後半は自らの番組としてのマーケティング理論の説明でした。それによるとフジテレビの深夜番組の戦略は2パターンあり、1つは新しいタイプの番組を試そうというもの、もう1つはオピニオンリーダーが飛びつくような番組を作ることによるイメージ戦略だそうです。そしてこの番組は後者に重点をおいたものであり、それなりの結果を出したので(視聴率は悪くないが)終わりにするのだ、と結論づけていました。現に筆者のまわりでもかなりこの番組のデータがもてはやされて使われていたので必ずしも間違った分析ではないのでしょうが、その後この番組を真似たのではないかと思われる番組(テレビ朝日の『はなきんデータランド』だとか日本テレビの『EXテレビ』月曜日など)がいくつもあったことを考えると、結果的に上記の戦略の2つのパターンを共に満たした番組だったのではないかなーなんて思っちゃいます。

4.夢で逢えたら
1988年10月〜1989年3月
フジテレビ
金曜日26時00分〜26時30分
平均視聴率:2.9%
BBS
ウッチャンナンチャン,ダウンタウン,清水ミチコ,野沢直子の6人が出演。前半はショートコント(毎週8〜10本程度)、後半は10分程度のドラマ風コントという構成。途中からは「ヤマタノオロチ合唱団」という合唱コーナーも作られた。1989年4月からは土曜日23:30〜24:00に移り、計3年の長きにわたって継続することになる。
深夜時代よりもそのあとの方があまりに有名なため、深夜番組としてのみ批評することは困難ではあります。ただ、お笑いグループが入り乱れてショートコントを演じるという形態,ショートコントのシリーズ化・キャラクター化というパターンはのちの番組(『ギャグ満点』『とぶくすり』など)に大きな影響を与えたし、深夜番組で新しいお笑いのスターを作るという方向性はこの番組から始まったといっていいでしょう。筆者個人としては、初めて第1回から最終回までほとんど全部見通した深夜番組であり、個人的な思い入れは深い番組でもあります。
ここを書くにあたってこの番組のビデオ(9回分だけ録画してある)を見直していたのですが、ある回で突然画面がぶちっと途切れてニュースが入るということがありました。何ごとかと思っていると「幼女連続誘拐殺人事件」の新展開があったとか。例の宮崎某のやつです。そうか、そんな時期だったのか、としみじみ思いました。

5.眠くなるテレビ
1988年10月〜1988年12月
フジテレビ
火曜日28時00分〜28時30分
平均視聴率:0.7%
BBS
女性アイドルが出てきて、あくびしたりベッドの上で「眠くなる方法」を実践したりして視聴者を寝かせようと努力する。入れ替わりたちかわり何人ものアイドルが登場するのだが、やることはとにかく視聴者を眠くさせようとする努力だけ。
実はこの番組、3回しか見ていません。そんな番組に批評もなにもないと言ってしまえばそれまでなんですが、タイトルのインパクトはすごいものがありました。この後にも番組が続いているというのに視聴者を眠らせてしまってどうしようというんでしょう。まあ、この番組を見て本当に寝てしまった人がいるとは思えませんけど。それにしても、この番組に出ていたアイドルたちってどうなったんだろう? 大女優になってるってのはいないだろうけど、結構脱いだ人とかいるんだろうなあ。

6.DEBATE
1988.11.30〜?
フジテレビ
不定期放送で時間もまちまち BBS
2つのチームが与えられた論題に対する肯定側と否定側にわかれ、立論−反駁−結論を述べてその優劣を競うというもの。毎回8チームが登場し、トーナメント制で優勝を争う。チーム(1〜3人で構成)は一般公募され、事前に予選が行われる。ディベートの総合テーマは明かされているが、具体的な論題は対戦の直前まで伏せられている。肯定側と否定側のどちらにまわるかも論題決定の前にじゃんけんで決められる。つまり、自らの信条とは一切関係なく、ただ討論の能力が問われる「ゲーム」なのである。司会は栗本慎一郎。
『TV2』という、毎週内容が変わる90ないし120分の枠で不定期に(1〜3か月程度の間隔で)放送された番組。ゲーム感覚が前面に出されているためか、テーマも軽いものばかりでした。「野球」だとか「テレビ」だとか。論題も結構ふざけていて、「巨人は本拠地を四国に移すべきだ」「フジテレビよりTBSの方がすぐれている」なんてのをいい大人が討論している姿はなかなか笑えます。そんな内容なのに審査員(栗本のほかに4人)の顔ぶれは豪華。猪瀬直樹だとか舛添要一なんかも登場していました。討論の内容をとっても、予選を勝ち抜いてきた人ばかりなので論点の整理が見事。これはもしかして将来は政治関連の討論番組に化けるかもしれない、と思っているうちにいつの間にかなくなってしまいました。もったいないなあ。それにしても、筆者の高校の同級生が出場したのを見たときにはほんとにびっくりしたものです(1回戦負けだったけど)。

7.IQ engine
1989年1月〜9月
フジテレビ
火曜日26時00分〜26時30分
(1月〜3月)
火曜日25時10分〜25時40分
(4月〜9月)
平均視聴率:2.7%
BBS
『頭の体操』のようなパズルの問題が出題され、しばらく視聴者に考えさせる時間を与えてから解答が出される。それを30分繰り返す。出題するのは大高洋夫や筧利夫ら『第三舞台』の面々で、出題方法もドラマ仕立てのものから画面上に問題が文字で出るのを読むだけのものまで様々。編集がしやすいためか、わずか9か月の放送にも関わらず3回もベストセレクション(普段の枠とは違う時間帯で)が作られ、放送終了後にビデオが発売されたりもした。
クイズ系の番組には解答者が存在するのが普通と考えられていた(現在でもか)中、この番組は問題と解答だけを流しまくるという新機軸を打ち出しました。惜し気もなく問題をぽんぽんと出し続ける気前のよさは見ていて実にすがすがしく感じられたものです。最近のクイズ番組に多い、司会者と解答者の余計な会話もないし。しかも、「深夜ですが、頭をお使いください」という冒頭ナレーションの通り、問題はクイズではなく頭をひねらせるパズルばかり。視聴者の頭脳に挑戦する、という姿勢がよく現れています。後期は視聴者からの問題も募集され、なかなかいい問題が多く寄せられました。その中から私の心に強く残っている問題を下に出してみましょう。

問1.上の9本のマッチ棒のうち、2本だけ動かして三角形がなくなるようにしなさい。
問2.上の9本のマッチ棒のうち、1本だけ動かして三角形がなくなるようにしなさい。

問1は結構有名な問題で、たしか『頭の体操』にも載っています。が、それをふまえても問2は解けません。解答は載せませんのでお暇な方は考えてみてください。
…とまあこんな感じで、クイズもパズルも好きな私にとっては願ってもない番組でした。最後になりましたが、パズルをメインに番組を作る、という点で初期の『マジカル頭脳パワー!!』に大きな影響を与えたことも付記しておきます。『マジカル』は結局最後には「どこで頭脳を使うの?」と考えてしまうような番組になっちゃいましたが。

Internet版制作者から……答えをのっけないっつーのも不親切なんで、つけときます。(問1問2

8.丹波倶楽部
1989年1月〜3月
フジテレビ
26時30分〜27時00分
平均視聴率:1.0%
BBS
殺風景なスタジオに一般人30人ほどが集まり、その中の何人かの人生相談を丹波哲郎が受ける。もちろん話はいつのまにか霊界がらみになることがしばしば。後半は霊界とはなんにも関係がなさそうな会社からのプレゼントコーナーなどもあったりして、実にコンセプトがつかみにくい番組だった。
この番組のことを思い出して、ああそういえばこのころ「大霊界」なんつー映画があったなあ、と感慨にふけってしまいました。きっとフジはそれに便乗したかったんでしょうね。だからとりあえず丹波哲郎を使ってみた、と。多分それだけの番組でしょう。それはそうと、この年には丹波氏は『さんまのまんま』にも出演し、そのときにさんまに「丹波さんはいつ亡くなるんですか?」と聞かれて「5年以内に絶対死ぬ」と言っていたんだけど、まだ生きてますね。ウソつき〜。

9.チキチキバンバン
1989年4月〜1990年3月
フジテレビ
月〜金曜日24時30分〜24時40分
平均視聴率:2.5%
BBS
素人3人組のチーム3つによる、海外旅行を賭けたオリエンテーリングみたいなゲーム。毎日数問の問題(クイズやパズル)が出題され、それを解くとその日の目的地がわかるようになっている。目的地には司会の牧原アナと相原勇が待っており、その地点に到着した順に順位点(1位から順に3,2,1点)が与えられる。日によってはこの形式をとらず、課題(21世紀まで1億秒になる時刻を計算させる、とか)の結果で順位を決めることもあった。木曜日終了時に最下位のチームはその時点で脱落、金曜日は一騎討ちで優勝を決定する。
キャッチフレーズは『日本で一番海外に近い番組』。うーん、バブリー(死語)。とはいえこの番組はすごく好きでした。問題が実に凝っていて、図書館に行ったり地元の人に聞いたりしないとわからないようになっていたし、素人の対抗戦という形なので親しみを持てたし。一度出て見たいなあ、と身近な人たちと話しているうちに終わってしまいましたが、もう一度やらないかなあ。それにしても、今相原勇(yasukoになったんだっけ?)って何してるんだろう? …そういえば牧原アナも最近見ないような気もするなあ。

10.ギャグ満点
1989年4月〜1990年3月
TBS
月曜日25時00分〜25時30分 BBS
ウッチャンナンチャンとB-21スペシャルの5人がショートコントを演じる。要するに『夢で逢えたら』をメンバーを変えてやったようなもの。
「物真似番組」と一言で言い切ってしまってもいいのだがけれど、『夢で…』と違って公開番組にしていたのは評価していいでしょう(『夢で…』は最終回のみ公開収録だった)。内容もなかなか面白かった(特に‘ザ・裁判’シリーズ。セロハンテープやティッシュペーパーなど身近なものにめちゃくちゃな理由をつけて猥褻物陳列罪を主張する検察側(南原)とそれを否定する弁護側(内村)のかけあいが傑作だった)のだが、それにしてもこの番組タイトルのセンスの悪さはどうにかならないものかなあ。
なお、このあと『ギャグ満点2』『3』と作られましたが、内容は全然違いました。

11.ガキの使いやあらへんで!
1989年10月〜1991年9月
日本テレビ
火曜日25時40分〜26時10分 BBS
現在でも放映中(日曜日22:56〜23:25)なので説明の必要もないとは思うが、メインはダウンタウンのフリートーク。それにオープニング(『チキチキ……』とかいうやつ)のコーナーが加わった(90年1月から)。深夜番組時代だけの特徴として挙げられるのはエンディングコーナー。客が帰ったあとの客席にダウンタウンの2人が座り、その日のトークの出来について語りあったり、イベント等の告知をしたりしていた。
番組開始当初はフリートークではなく漫才だったという事実は、かつては知っていれば自慢出来ることがらだったけど当時のビデオが発売された現在となっては周知の事実でしょう。では、開始当初は番組後半に「観覧者に大阪弁を教えるコーナー」があり、89年12月ころから「松本の物真似コーナー」になったこと,深夜時代は視聴者のハガキを運んでくる人を公募していたということ,尾崎亜美作曲のテーマソングがあったことを知っている人はあまりいないと思うけどいかに(とかいって全部ビデオに入っていたらやだなあ)。それはともかく、あくまでフリートークをメインに2年もの長期にわたって番組を続けてきたことは称賛に値するでしょう。そうそう、ちなみに深夜で放送された回数はちょうど百回です(百回記念が深夜時代の最終回)。

12.奇妙な出来事
1989年10月〜1990年3月
フジテレビ
月曜日25時10分〜25時40分
平均視聴率:2.4%
BBS
毎回1話完結,出演者も毎週変わるドラマ。現実からちょっと離れてしまった「奇妙な」世界が展開される。話の始めと終わりには現実世界との橋渡し役として斉木しげるが登場して話をしめる。
斉木しげるとタモリを入れ替えれば、そう、『世にも奇妙な物語』のできあがりです。さきに『マーケティング天国』のところで説明した深夜戦略の1つである「実験番組」の最高の成功例と言っていいでしょう。
番組の内容としては、いつ見ても話がわかる(連続ドラマでない)点(これは『やっぱり猫が好き』にも共通する),のちの『世にも奇妙な物語』と違って人が死ぬ話がほとんどなく、一方で笑えるオチがつくことが少なくなかった点など、入り込みやすさやわかりやすさが高く評価されうるかと思います。ただ、「もしかしてこれはちゃちな『ウルトラQ』なのか?」と思ってしまったことも事実です…。ところで、番組タイトルのところで振り返っている男のシルエットが出ますが、あれが大高洋夫だということは意外に知られていないようですね。

13.ボクらの気分
1989年10月〜1990年3月
フジテレビ
火曜日26時35分〜27時05分
平均視聴率:0.9%
BBS
毎回東京の1つの街を選び、その街のあちこちをスタッフが歩きながら撮った8ミリビデオ(音声なし)を見ながらスタジオで出演者(レギュラーとして篠原勝之,笹野みちる,山中すみか,鶴間政行(構成作家)、そのほかに毎回ゲスト1人)がいろいろと雑談する。
もしかして『アド街ック天国』はこの番組のパクリか? と思ってしまいました。それはともかく、レギュラーに時代を感じます。笹野みちるはまだ『東京少年』のボーカルでカミングアウトしていないし、山中すみかなんて今はどこで何やってるんでしょうねえ。それ以前にみんな知らないか。
この番組を見ていた当時はただなんとなく「へえ、こんなところもあるのか〜。でも出無精だから行かないだろうな〜」と思っていました。事実今でもあまり出かけないのですが、たとえば筆者がのちに住むことになる下北沢の当時の姿なんかが伺われるので今見ると面白かったりします。放送された時期がバブルまっさかりの時期なので、その当時と今を比べる、という史料的価値がある番組と言えるかもしれませんね。

14.クリニックス
1989年10月〜1989年12月
フジテレビ
火曜日27時05分〜27時35分
平均視聴率:0.6%
BBS
毎回2つの成人病ないし現代病を題材とし、その症例を各々3つずつ紹介する。そしてそれらの治療法や対処法を専門医が解説したりするのがメインだが、その合間合間に松原千秋が登場してそれぞれのケースについての感想を述べる。
夜も遅いというのにこんなにコワい番組をやっていいものか、と放送当時は思ってました。今ビデオを見直してみてもやっぱりちょっとコワいです。ちゃんと対処法まで教えているからそんなに救いがない番組というわけではないのになぜなんでしょう。もしかすると『家庭の医学』を読んでいると自分も病気ではないかと思ってしまうというのと同じ感覚なのかもしれません。ま、たしかにこんな遅い時間にテレビを見てしまうというのは1つの病気といえなくもないですが。それにしても、そんなことを考えながらも全部見てしまったというのは一種の怖いもの見たさなんでしょうね。

15.第8法廷
1989年10月〜1990年3月
フジテレビ
火曜日27時35分〜28時05分
平均視聴率:0.8%
BBS
裁判のシミュレート番組。実際にあった民事事件をちょっと脚色し、現実の裁判を簡略化した形(原告尋問,被告尋問,双方の主張,判決のみ)で審理する。裁判長,原告,被告は役者が演じたが、弁護士役は本職の弁護士が演じた。レギュラーは半年で終了したが、60分ないし90分のスペシャルがのちに数回(4回は確認したがまだあったかも)放送された。
『クリニックス』ともどもフジテレビの深夜アカデミック路線の最硬派(こんな言葉あるかどうか知らないけど)といえる番組。ただしかなりわかりやすくはしてあって、法律用語はほとんど登場しませんし、法律の条文の話になるとその全文が画面にテロップで出ます。
判決の前にはCMが入り、視聴者にその間に判決の内容を考えさせる趣向になっていました。見方によっては、史上もっとも内容の難解なクイズ番組ともいえるかもしれません。
個人的には、この番組をもっとちゃんと見ておけばよかったという気もしています(筆者は実は法学部出なので)。

16.平成名物TV
1989年2月〜1991年9月
TBS
土曜日24時30分〜29時00分
(1989年2月〜1990年9月)
土曜日24時40分〜29時00分
(1990年10月〜1991年9月)
BBS
開始当初は「いかすバンド天国」「IKE IKE CLUB」「トンガリ編」の3部構成。1990年7月から「いかすバンド天国」と「ヨタロー」の2部構成に。
「イカ天」は、三宅裕司と相原勇が司会をつとめるアマチュアバンドのゴングショー。毎週10組のバンドがエントリーし、その中から1組が「イカ天キング」に選ばれ前週のキングと1対1の対決。キングとして5週勝ち抜くと「グランドイカ天キング」になる。番組内にはほかにもバンドチャートや「歌うバンド予報」「ロックロックこんにちは」等のコーナーがあった。
「IKE IKE CLUB」は、トレンドウォッチャー(恥語)の木村和久が司会。「イケイケギャルズ」と称したボディコン(恥語)の女性たちを後ろに従えてトレンド情報の解説を行う。番組の最後はラッキィ池田(当時は超人気者)の振り付けでおねーちゃん達が踊る。
「トンガリ編」は、翔(横浜銀蠅)が司会のバラエティー。「出てこい!お笑い君」というお笑いゴングショーがメインコーナー。
「ヨタロー」は、松尾貴史と早坂あきよ(元ViVi)が司会。若手落語家が落語以外の芸(コント・漫才等)で競い合うお笑い番組。(GreatTeacher俺)
「いかすバンド天国」は、「イカ天ブーム」と呼ばれるほどの社会現象を巻き起こした。日曜日に原宿の歩行者天国でバンド演奏を行う「ホコ天バンド」と共に、アマチュアバンドブームの牽引役をつとめていた。原宿・竹下通りに、出演したバンドのCDやグッズを販売する「イカ天ショップ」も存在していたほどである。一時期は、日曜深夜に「別冊イカ天ベスト天」という増刊号的な番組も放送されていた。
この番組で5週勝ち抜いた「グランドイカ天キング」には「FLYING KIDS」「BEGIN」「たま」「マルコシアス・バンプ」「Little Creatures」「Blankey Jet City」等のバンドがいる。ほかにも「JITTERIN' JINN」「人間椅子」「remote」「KUSU KUSU」「AURA」「カブキロックス」等多くのバンドを世に送りだした。番組1回目に出演したバンドの女の子が審査員の判定に怒ってパンツを脱いだり、番組スタッフが大麻で捕まって放送が中止になったり(2度も)といった事件もあった。
審査員は、萩原健太・今野多久郎・グーフィ森(当時から謎の人物。肩書きは「タクティシャン」)など。審査員が手元の赤ランプを押すとバンドの演奏画面が小さくなり、画面がある程度小さくなるとその時点で演奏終了。画面が小さくならずに3分間の演奏が終わると「完奏」となり合格扱いとなる。
なお、この番組とほぼ同じテイストの「バンド合戦」的番組として、同じく三宅裕司の司会で「えびす温泉」という深夜番組がテレビ朝日で放送された(1995年)。
「IKE IKE CLUB」の司会の木村和久は、ビッグコミックスピリッツ誌上で「平成ノ歩キ方」というトレンドページを執筆していた。スタジオの後ろに座っていた女性は、その多くが「ワンレン・ボディコン」姿。深夜番組において「後ろに女性をたくさん座らせる」という手法は「オールナイトフジ」の時代から「ワンダフル」の現在に到るまで不変のものなのであろうか。
「トンガリ編」から出てきたお笑いの代表格としては金谷ヒデユキが挙げられる。かなり深い時間帯の番組ということもあり、かなりきわどい時事ネタを歌い込んでいた。そんな彼も、「ボキャブラ天国」で賞金100万円を手にしたのをきっかけに「歌手宣言」してしまった(1999年秋)。また、ジョーダンズの三又も別の相方とコンビを組んで出場していた(当時からネタは金八先生のマネ)。審査員としてレギュラー出演していた一本木蛮(コスプレ漫画家)も懐かしいところ。
「ヨタロー」は、お笑いはお笑いでも若手落語家にスポットをあてる珍しい番組だった。春風亭昇太・立川談春・立川志らくといった落語家がこの番組からブレイクしていった。
なお、「平成名物TV」は番組タイトルに「平成」を冠した最初の番組である。(GreatTeacher俺)

【最後のつぶやき】
 はあ、やっと終わったか。かなり前のことを思い出しつつ(あるものに関してはビデオも見つつ)書いてたんですが、やっぱりいろいろと忘れているものです。
 ところで、ここまでをもう一度読み返してみて恐ろしいことに気が付きました。「深夜テレビとは何か」という定義を一切していないんですねえ。遅ればせながら私なりの定義を書くと、
 1. 開始時間が24時以降であること。
 2. ニュース番組,スポーツ中継,映画でないこと。
 の2つを満たしたもの、ということになります。そして、この『深夜電映』で取り上げるのは、基本的にはレギュラー番組だけです。時としてそのほかに不定期に同じタイトルで放映されるもの――今回なら『ディベート』がそれにあたりますが――を取り上げたりもするかと思いますが、1回だけの特番というのは取り上げないつもりです。
 今回は1989年以前に放送が開始されたものを集めてみましたが、それでもよく見ると一番古いものでも1987年10月開始のものです。筆者が深夜番組を見始めた時期がたまたまこのときだったからこうなったわけですが、実はこの1987年10月は深夜テレビ界にとってのターニングポイントでした。このときの改編でフジテレビが初めて深夜番組の統一タイトルをつけたのです。「眠らない、眠らせない……JOCX-TV2」というアレです。と同時に深夜を統括するプロデューサーを置きました。フジテレビのこのような方針の狙いについては『マーケティング天国』のところでも書きましたが、もう一つの狙いがありました。若手ディレクターの育成です。この狙いがまんまと当たり、若手ディレクターたちは『やっぱり猫が好き』『IQ engine』などの深夜ならではの傑作を次々と作り出しました。もちろん中には「ハズレ」も多々ありましたが…。こんな冒険をする勇気がなかったのか、他局の深夜は相変わらずお色気,スポーツ,映画というありきたりな番組ばかり(全部が全部というわけではなく、中には変わり種もありましたがごくわずか)。ようやく日本テレビが『深夜改造計画』という名のもとに深夜番組のてこ入れを図ったのが1989年10月ですから、それまでは内容的に見てフジテレビの独走状態でした。
 87年10月からのフジの意気込みは、数値にも現れています。民放5局の深夜の新番組におけるフジの番組の比率を見てみると、1987年4月の改編では20番組中4番組、つまり平均程度にとどまっているにも関わらず、1987年10月改編では19番組中9番組と半分近くを占めています。この高比率はこのときだけのことではなく、
 1988年4月改編……26番組中12番組
    10月改編……35番組中15番組
 (さらに1989年1月はフジのみ新番組4つ)
 1989年4月改編……(未調査)
    10月改編……30番組中13番組
 (残り17番組中7番組が日テレ)
と、たえず4割以上をフジが占めるようになるのです。こんな時期を取り上げたわけですから、この号の内容がフジの番組ばかりになるのも仕方ないですね(16番組中実に13番組がフジ)。以上、一局集中の長い長い言い訳でした。…それにしても、上記のデータによると1988年10月、1億総自粛ブームの中でも35もの新番組が始まっているんですね。結構テレビ人(←何語?)もやってくれます。
    *     *     *
 さて、次号では90年と91年に放送が開始された番組を取り上げます。筆者のまわりの深夜マニアの間では「深夜テレビの絶頂期は1989年から1992年ごろだった」というのが定説になっていますので、かなり面白い内容のものを紹介できると思います。…ま、番組が面白いのと説明が面白いのとはまるで次元が違いますけどね。
 …以上、勝手に深夜のテレビの話を延々と書いてきたわけですが、多分95%の人はさっぱりわけがわからなかったと思います。でもそれでいいのです。こんなディープな話を百人が百人わかるようでは逆に日本の将来が不安になりますし。私としては、百人中数人が内容を理解してくださり、残りのうちの10分の1くらいの人でも深夜のテレビに興味を持ってくださるといいなあ、と考えています。ま、そううまく行くはずないんですけどね。
 深夜マニアの方やそうでない方からのご意見ご批判などいただけるとうれしいです。